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アクティブシニアのコンパクトなエコ生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの85点人生のライフログ。 “丁寧な生活” を目指すライフスタイル

ダルイと断られる

グチであるが、前回記事で述べた同じようなことは妻だけでなく、無償で家を貸している息子にもある。私が旧家に住んでいた時はホスト役として、(最寄駅から歩いても15分程度だが)来客のある時には基本的にいつも車で駅まで送迎をしていた。今は使用権を委ねているから、春秋のお彼岸時の年2回の帰省時は彼がホストで私がゲストになる。通常はその程度なら駅から歩くので全く問題ないのだが、家から墓までは方向が逆で歩いて行くには40分くらいかかるから息子2(36)に墓参り送迎をしてくれないかと車出しを頼んだ。回答は・・

「ダルイ」だった。ホストとして墓守を頼んだはずなのに、それはないだろうと心は穏やかでなかった。何も言わずにこちらの想いを推し量ってくれという甘えとは違う。私は自ら進んで行ってくれることを期待したし、その旨ははっきりと伝えている。前回の彼岸時に同席していた息子1(38)は、「行って欲しければ息子2に行ってくれと、お願いすれば良いのではないか」と言った。私は「行こうという気がないなら、行かなくても良い、気持ちの問題だ」と言った。そうしたら、息子2の回答は・・

「じゃー、車出しは無しっと言うことで!」で勝ち誇ったように言って終わった。依頼されても、相手には Noという権利はあるので、それ以上のお願いはできないと思い私はいつもそこで諦める。帰省はしたものの墓参りは結果的になしで未練がないと言えば嘘になるが、それ以上に少しの労力を惜しむ思いやりのない態度にがっかりである。恐らく、その態度の裏には私への何らかの反発、過去の確執が存在しているのだろう。それは妻の親娘、きょうだい関係に限らず同じと思う。

私の周囲で良くある諦めのパターンなのだが迷いがある。この本能に従った快楽主義の許容する行き着く先はどうなるか。各自が互いに依存し合わずに、互いに関わらずに自分のことだけをして、身内とて互いに遠慮し合い、期待し合わないで別々に各自で勝手気儘に暮らすことに至るのではないかという気もしてしまう。この種のことは私の周りだけに留まらずあちこちに見受けられるので、(私の基準では)各自の責任を全うしないと文化の衰退を助長していくのでは?果たしてこのままで良いのかを憂うのである。

Just a father and a son chilling on a couch in the desert

気持ちの欠ける親娘関係

仲の良い親子は関係が良い。当然なような気もする。関係が良いから仲が良いのだろう。私には妻の親娘、またきょうだい関係は傍目には良さそう見えていたが、実際には色々な確執があり、今日に至っているようだ。あまり良い関係とは言えそうもないが、似たような家族は少なくないかもしれない。比較すると、miketoyのきょうだいは決して悪くはない。

昨日の記事でも触れた、その義母の幸せを支えるためのお金は重要なことの1つ。しかし、それだけでもダメだ。精神面の気持ちはお金以上に大きいかもしれない。酷過ぎではないの?と思うことがある。子(娘)が親(義母)の世話をせずに、他人の私がしている*1のだが、それはまあ良い。1日10時間以上はゆうに寝て、さらに昼寝にネットとテレビばかりの生活なので忙しいはずはないのだが、まだまだ時間があっても母親が嫌いだから世話したくないという気持ちは同じ構造、その点は私は理解している。

やはり、その人とどのような関係を築きたいのかに尽きる。私はある人間関係で悩んでいた時に、アドラー心理学の大御所のN氏のカウンセリングをクライアントとして受けたことがある。その時に、その人とどういう関係を築きたいか聞かれた。意外だった。結論をブーメランで自分に戻された気がしたからだ。すなわち、良い関係を築きたいのか、あるいは他人の関係とか、胸に手を当てて問うのである。安易にその時の気分だけで判断を下してはいけないという示唆もある。

最大の問題と思うのは子や孫達は義母が「幸せ」に過ごせるという視点で誰も考えていないこと。実際の日々の生活は施設の人にお任せしているので楽チンだが、今や義母が幸せに暮らすための障害となる諸問題の解決への調整役はほぼ私になっている。私の関与する度合いも増えてきたが、それは私にとって大した苦ではないからそれ自体は問題はない。事実とは違うのだが、義母ご本人の目にはそう映っているという点で、この間の主張をそのまま具体的に列挙し、とった対策にも触れる。

 

まずは、老人介護施設に入った当時、娘にこの施設に入れられたのだと訴えていた(実際の最終決断は自分自身)。その上、娘達は滅多にこないし来てもすぐ帰ってしまう。外出許可も娘の許可がでない。電話もないし外との連絡手段も途絶えさせられ、まるで監獄に入れられているようだ。自宅に帰りたい、これでは生きていてもしょうがない、電車に飛び込もうかと思う、どうしたら死ねるかとも訴えていた。

もう思考能力の衰えてきた相手だから、私のできることは相手の想いを想像して、誤解を解き、前向きな提案すること。私の義母への提案の第1は、ケイタイを復活して持たせること。でも目も指も動きが鈍いし、操作の基本構造が理解できていないのでほとんど使いこなせていないが、安心はできたようで外部との隔離問題はそれで解決。

また友人の死去のお悔やみに行きたいという要求、実家のモノの運搬対応なども、提案の第2、代行でお手紙を書き会話をして、それをゆっくりとはっきりした声で伝えてこれもとりあえず解決だ。

また外出をサポート、病院への同行及び今後の車椅子、代理の会話は今は(妻が根をあげたので)私がしている。提案の第3は、その種のショッピングを車椅子で行く企画をし初めて実行。今後の頻度は、次の点と関連し別途に考える。

さらに提案の第4は、買い物などの利便性をさらに高めるべく車椅子で乗り降りの容易なスロープ仕様の車を手配し、誰かが運転をして周囲がサポートすること。 その第4の車の購入の問題が(ビジネスの問題として)解決ついたと仮定した上で、具体的にどう運用をしていくかも次の問題となる。当然ながら、老婆は自ら運転ができる人ではない。妻も自ら運転するつもりはないので、それは自ずと私に回ってくるがその日常の運転手配と、自動車任意保険、駐車場料金は誰が払う?など、どうサポートしていくかといった細かな詰めごとを決めなくてはならない。他人の私にまで影響が出てくるのは必至。

妻のきょうだいでは誰もリーダーシップをとらないから、渡りの舟を出してかつ漕ぐのも私になりそうだが、乗りかかった船というか自ら作り始めた舟とは言え、ことと次第によっては壊すかもしれない。そうなれば後は、気持ちの欠ける彼等同士で何とかしてもらうこととなる。

In a flower shop

*1:その間に、子はひたすら自分の趣味(ジムでの水泳で技量をあげること)に勤しんでいる。私には良く理解できないが、趣味に勤しむのは全く問題ないし、できるだけしたら良いと思う。

誰がその人の幸せのための経済的スポンサーになる?

レバノンへ逃亡したゴーンさんのプライベートジェットのチャーターなどで16億円以上かかっているという。全く想像もつかない価格設定だが、コストベースの積みあげで数パーセントの利益の上乗せといったちまちました発想でないバリュー・プライシングなことは確かだ。だから庶民には16億でも17億でも変わりがないようなもの(国の予算も同様に変わりないのでは困るが(笑))。

今回の事件の依頼先もそうだが、私の経験でもアメリカという国の人ならば、組織だってその手の金さえ払えば何でもビジネスとしてする、目的のためには手段を選ばない・・とする嫌感を持ってしまう。米トランプ大統領の思考などでも想像つくように、この種のことを好んでする体質がある国民性だろうなという印象を私は持っている。

それはともかく、16億近くで需要供給ビジネスの関係は成立したのだ。やはり世の中は金次第でどうにでもなることが多いなぁ、逆に金がなければ何の事態の変化も起こらないのだなとも思う。

相手がほとほと困っていても他者は通常は経済的援助をしてくれない場合が圧倒的に多いだろう。だから、自分の財産だけが頼りだ。ゴーン氏の友人とて、この状況での援助は氏の再起も微妙で見返りがあるかが不明な上、とばっちりが自分にも向かう可能性もあるので、誰もスポンサーにまではなろうとはしないだろう。唯一の例外は運命共同体(と認識している人なら)のゴーン氏の妻だけだ。親族も状況によってはそうなるかもしれない。

British Museum Oily Cashmob 14 May 2017

昨日の記事とも関連するのだが、私は義母の人生末期の『幸せ』をサポートしたい。ゴーン氏逃亡の構造はその件と似た関係性でもある。幸せに移動できる手段として、プライベートジェットでなく車椅子仕様の車だが(笑)。快適そうであっても良いねという「総論」は通過した。次なるステップは「各論」で、どう具体化し手に入れるかの段階である。

今手元にないシロモノだから、当然ながら支払いをする必要がある。となると、購入するにあったて、誰が払うかが次の問題となる。基本は受益するご本人であるのが筋だろう。払えるなら大して問題は起こらない。では不足するなら誰が払うべきか、そして複数人で折半するなら、誰がそれぞれどういう割合で負担するか決めねばならない。となると、関係者の合意が必要になる。急いでいれば一時的に費用を立て替えることがあるだろうが、その後の交渉不成立ならば回収不能で損金になる可能性もある。少なくとも他人の私が払うということは通常は考えにくく、そこまでのコミットはない。この関係は親娘と言えども、基本は冷静にビジネスとして抑えるべきものではないかと私は考える。きょうだいがいれば不足分の負担は平等にが基本と思うが、こちらもビジネスとして扱いケースバイケースで正解はないと思う。本案件は現在進行中だが、どう合意のプロセスを経て決着しようとしているかを含め、また明日の記事で整理したい。