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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

同居するなら、最終決定権は誰が握るかは重要

「今年の課題3つ」のうちのとりかかりの1つが、地方都市に住む88歳の(義母)親との同居の見通しをつけることであった。

同居するとなると、いろいろな葛藤があるだろう。それを想定し、あらかじめ相互の調整方法を確立しておく必要がある。それでもうまくいかない時の最終的な決定権をどちらが持つかを決定しなくてはならない。そのために9月に数日間だがテスト的に暮らしてもみた。もう結論を出した。同居はやめだ。できないというか、したくない。

一方的にこちらからの歩み寄りばかりでは面白くもない。ずっと主導権を手渡されない状態が長く続けば、同居してうまくいくはずはない。それまでは、ご本人にできるだけ一人で頑張ってもらうしかない。私自身もある時に自分の母親と数ヶ月間、暮らす事情があった。短期間でもあったのでアパート代をケチったためもあったが、親を不憫に思っていたことも事実であった。しかし、しばらくの期間でも同居したことを深く悔いた。ストレスで気が狂いそうになったのだ。妻も同様なことを言っているが、それと同様だろう(同年代の介護ブログでもその種のことは良く書かれている)。 最終決定権を握る主は、一人いれば良い。相手に委ねる気がなければ、最終決定権は今の家主であるのは当然といえば当然の理屈だ。複数で暮らすなら、よほど波長があわない同士でないと、ストレス過多になる。やはり異なる世代の人が、同じ屋根の下で暮らすのは通常では無理だろう。

 

・・ということで、リタイア後に四国に移住する話は後回し。先送りになったということは、実質的には流れたようなものだ。海外で住む話も、今の円安状態は続くだろうから当面なし。今住んでいるところで今後は根を張り暮らしていく活動をすることになる。

http://www.flickr.com/photos/14163131@N04/4058587230

photo by gwaar

 

この種のことは私達と親世代との間だけでなく、私の子ども世代との関係でも同様だろうなと思った。もう30をとうに過ぎている世間的には一人前になっている子が、親の軍門の下に入るのは、たとえ経済的なメリットがあったとしても本心では面白くなかろう。彼らの成長をも阻害しそうな気がしてきた。「生活」は最も基本的なわがままの通るところだ。いつ起きて、何を食べ、何にお金を使い、まわりとどう折り合い、何を楽しみに暮らしていくか。それは、すべて自分の気ままに「自由」に生活できるのが一番で(不自由な暮らしを厭わない人はその限りではないが)、別世帯で暮らし続けるのがベストなのだろう。