にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

信頼されない大人達

今回の上村君殺害事件でのインタビューなどで、「周りの人たちが気づいてあげられたら」と周りの人たちが「タラレバ」論を言う。親の代名詞として「周り」と間接的に言いながら、親を責めているだけかもしれないが、やや無責任な発言では?という感もなくはない。
子供達には、子供同士の世界がある。その中まで大人はなかなか理解できない。もちろん私もそうだ。例えば、彼らが良く使う「一緒に遊ぶ」とLINEで誘われると言う実態は、私が知らないだけなのかもしれないが良く理解できない。想像するに、遊ぶとは同じ空間にいるということなのではないか。彼らの言葉から「何をして?」をしばしば伴わない。「何をして」は問われず、一人ひとりが勝手にゲームをしたりで、まともな会話をしない空間に思えるのだが。それは家庭内でも同じかもしれない。

http://www.flickr.com/photos/93393982@N00/3909431214

 

今回の事件が防止できなかった、言葉を変えるならば子どもの世界でのトラブルを相談されない最大の理由は、大人たちが信頼されていないことだろう。子の虐待でもそうなのだが、この年代では子どもに責任は一切ない。誰しも思うことだが、やはり最も影響を与えるのは親だ(もちろん、苦しい環境にある親を支えるインフラも重要だが)。幼少期の親子関係は重要で、その後も未成年では別の側面での危険なお年頃は続く。トラブルは必ず起こる。そんな時に、親が相談されないということは「相談に値しない相手」と言われているようなものだ。

次に期待されるのは学校だろうか。学校の教師も同様に信頼されていないことは、学校側は認めたくないだろうが通常なのではないか。教師はプロなのだから責任を持つべしという厳しい意見もある。教育関係者はどの発達段階をサポートするにせよ、常に緊張感を持って子どもに接しなくてはならない。一方、親の自らの子の子育てまでの介入は教師に可能なのか、可能だとしてもそこまでして良いのかという疑問が私にはある。親の教育方針もあろうから、教師としては、不必要な衝突はできるだけ避けたいだろう。学校は重要な一側面ではあるが、それは子どもの学校の側面しか彼らは見せないので自ずと限界はある。責任のなすり合いではないが、最終的には親でないかと思う。

地域はどうか。それも重要ではあるが、信頼関係の薄いと考えられる地域の人はもっと頼りない。地域にもよると思うが、親から逆恨みをされたりしがちだ。触らぬ神に祟りなしで、見て見ぬ振りをする風景を非難はできない。


言いたいことは、子どもに放任のままで良いわけではないということ。それが今回の結末だ。大人はきちんと対峙しなくてはならないときもある。子から嫌われるのを恐れて、衝突を避ける(私を含めて)大人達が多いような気がする。

身近でできることはないだろうか。それは、親子で良好な関係を保ち何かことがあれば相談を受けられる関係が築けているかということ、親が子から信頼できる人になることが重要ではないか。それは単なる "仲良しな親子" とは異なるものだが、子供達から信頼を勝ち取るのは、言うは易く実際はとても難しい。そう言う私自身もできていない。

photo by Scott McLeod