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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

真実はわからない

試験などでは「ケアレスミス」に注意するようにと教師や親から言われる。ケアすなわち、心配り、注意深さであり、それの欠如によるミスである。それのあまりない人は当然、試験の得点も低くなる。仕事の関係だと、それにより上司から怒られることもあるだろう。その人自身の信頼度を計る指標にもなってしまう可能性が高い。理解力など他の条件が同じだとしたら、十分に注意深い人と比較すると、大いなる差がでることと考えられる。

 

*** たとえばこんなこと。この地域で、今雪が降るなんてことはあり得ないが、雪だとポッチする人が時としている。それをどう思うか。

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私自身も親からそう育てられた覚えもあり、家族や子供たちに、ミスの多さはコスト高になるので注意深くあれと接してきた。それは彼らが注意深くある能力はあるはずという想定のもとであった。完全無欠はあり得ないものの、少なくはありたい。注意したことの再発が起こると厳しく咎めたし、自分自身に起因していた時は自己嫌悪にもなった。

 

注意力の低い、意識散漫な人は、人の話を聞いていないで、勝手にやることはしばしばある。そのような人たちの存在をたくさん見てきた。だから耐性がでてきたので、最近はそういう人には怒ることはしなくなった。ADHDのような病気かもしれないし、そんなものだと思い、接しなくてはならない。これは私にとって大いなる進歩だ。私自身も、人のことは言えない程度に注意力が衰えてきたので、その思いは一層強くなったのだ。

 

さて話を戻して、天気予報の雪マーク。妻はそのような人に対して、アホか! 意図的イタズラかと怒るが、私はそんなこともあろう、意図のない不注意だと許容する(地域的に雪が降っているのかの真偽はわからない。意図的イタズラの可能性もある。ま、どうでも良いことだが(笑))。
そのことに関して私の日頃の態度と矛盾しているというのだが、そうではない。妻は、例えばテレビ・ビデオの配線に関してすぐに放棄する。私は能力のある大人(同僚など)と見た場合には、未熟な人(新入生など)と比べて厳しく接するのは今でも変わりない。だから相手を見て、接しているということなのだ。でも最初から、学ぶ気がないのなら別なのではないかなとは思う。相手の意図や、その時々の真実はわからないことが圧倒的に多いだろう。もちろん、自分自身のことだって、少なくはないはずだ。