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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

「適切な選択を続けていれば、いつの日にか報われる・・・はず」は通じない

しばしば人生は選択の連続であると言われる。昨日のクローズアップ現代で「買い物は“おまかせ”スタイルで!? ~広がる目利きビジネス~」を放映していたが、情報過多の時代で 7割の人が選択が負担に感じるという。目利きに選んでもらう時流とそれに伴う商機もある。ここで、目利きを選択する人達と選択を放棄する人達の二種類が混在しているように思う。後者はいただけないが、この「選択」が、今回のテーマだ。

 

どうしようもないことや、生まれた環境の運不運は誰にもある。そんな状況下でも、適切な選択を続けていれば、いつの日にか報われる日が来るはず! と信じている。

私の例においても、家庭環境は恵まれない不遇な階層にあったと思う。その後に、ある種の幸運と、ほどほどの適切な選択を続けて少しずつ改善され、かつてと異なった地平線に至ったと思っている。
また
次元は低いかもしれないが、このところの関心事の住替用の中古マンションを購入も、まだ上昇志向の残る私にとって幸せを維持するための大きな選択の一つである。その種の適切な選択が重なれば、たとえ初期は不幸であったとしても、そこから脱出し幸せになれる可能性は高まる。 

 

より良き選択ができるようになるためにこそ「教育」があると私は思っている。ただ、せっかくの与えられた機会を活用しないで、辻褄だけ合わせれば良しとする人に私は絶望感を感じる。しかし、世の中にはいろいろな考えがあり、それもまた選択なので良しとしよう。

先の私の主張の説得材料は「私」という一つの事例でしかなく、仮説の域を脱せず証明はできない。説得力に欠けるのはそれもあるのだが私の能力不足も重なり、周りの学生たちには賛同を得られなかったような、いや通じなかった。残された職業生活の時間でそれを突破するのはもう無理であろうと諦めている。できることは、このブログに私の主張の記録を残すことくらいで、将来誰かの目に留まるのであれば、私の遠吠えも、それなりに意味があったと理解したい。 

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 photo by marfis75