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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

他者の言うことの落とし穴

成功した経営者やコンサルタントなど(書き手とする)が、例えば「成功のための三つの条件」などど言う。すると外野は、その三つだけをクリアしようと試みる。しかしうまくいかなかったり機能しないことを経験する。書き手は、例えば、相手はこの程度は理解しているだろう、これは持っているだろうとかの暗に前提を持っていることが多いだろう。

おカネなどの資源を活用して無理やりにでも相手を説得させるのが、企業などが成し遂げる縦の力だが、著者と読者のような横の関係だと相手の状況が見えないのでメッセージを伝えるのはとても大変だ。

読者はうまく成功せず、また別の本をあさる。こうして下手すると、いつまでも成功しないということになる。そこには成功の三要件以前の前提があるし、必要十分条件を言っているわけではないので、そこで言われていることだけで判断してしまうと落とし穴に陥るので、語られていないことにも注目する必要がある 

 
一般的にも適用可能とは思うのだが、昨日のブログ記事の私の主張も、昔から自ら持っている"有"を、あえて明示していない。かつて持っていなかった"無"のことで、持てるようになった"有"ことのみを挙げて、その差異を強調している。この関係と同じである。持っているいない、状態の変化した今どうかでの組み合わせでは、四つの象限となるはずだ。
 
かつて↓  今→     有        無
無          差異を強調    触れない
有          見えていない   気にしていない
 
かつても今も"有"は、気づいていなかったり、見えていない。今までずっと存在して"有"であった「幸せ」は失って初めて気づくというようなこともある。私の場合では、ものごとへの基礎的な理解力はそれに相当する。
 
持っていなくて、今後も持てそうもない両方とも"無"なものは言及されず、触れられない。私の場合は例えば我慢強さのようなものはそうだ。コンサルタントならまだしも、カウンセラーにはなれそうもないが、そんな自らの弱みになるようなことをあえて明示的に触れることは少ないだろう。
 
以前に"有"で、今は"無"なものもある。それは気にしてはいない、それなりに受け容れているものかもしれない。私の場合は「若さ」はそれだ。
若さは現時点で何か欠けるものがあったとしても、なにものにもかえがたい将来への希望があるので大切にして欲しいと思う。若い人には "有"であることを気づいて欲しいものの一つである。
 
こういった人生における棚卸しを時としてするのは悪くないと思う。