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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

相続のことを考えずに逝くのは無責任

昨日は年次定例の「miketoyの親を偲ぶ会」実質は兄妹会であった。私の住替えの状況によっては、この家でのホスト役は今年が最後になるかもしれない。私の子どもたちにも毎回声をかけているものの参加はない。ということもあり、終活関連のことも、この機に話し合っておいた。

 

相続に関する事例は巨万とあるだろうが、まずは miketoy家の場合である。私視点であるが、父親が亡くなった時に、子達はそれぞれ独立していたし、財産が全面的に母親にいくことに全く異存はなかった。勿論、遺言も何もなかった。

母親はさほど判断能力も処理能力も高くはなかった。その母親が亡くなった時に、残された財産は、兄弟姉妹で三分割した。私は次男ではあったが、他は一切要らないから家というか土地を譲り受けたいと主張した。株式などの債権を兄と妹で分割し、結果的にほぼ 3分の1相当になったはずで、全く揉めることのない円満解決であった。

 
妻のほうの親の場合も、関係性においては、ほぼ同様だ。義父は相続のことを本格的に検討する前に認知症となり、結果的に何もメッセージを残さずに逝ってしまった。
遺言も何もない状態で、義母は感情で理性的な判断ができないのは、私の母親の場合と同じようだ。結局、子があたふたするという結末だ。私がとやかく言う話ではないのだが、実家は売却することになるのだろう。想像するに、親の願い(?? 私の想像だが)が叶えられずに残念な結末に至りそうだ。相続をはっきりとしておかなかった結末であり、止むを得ない (そんな事情のある不動産を買い叩く人は、市場価値以上のものを入手できるわけだから、結果的に得をするだろう)。
 
誰に責任があったか。その家で最も責任感があり、気持ちの余裕のある人が判断すべきことだった。もちろん能力も関係する。通常はシニア世代、そして家の大黒柱であったと思われる男親だと思う。私の観察するに、私の父親も義父も判断力や思考能力に欠けていたとは思えない。ただ考えていなかっただけだろうが、大正の人間だからしかたないとしよう。昭和の人間としては、キチンと措置しておきたい。 
その手のことは男女に関わらず、得意な人がやれば良いのだが、残された人への配慮なく後は良きに計らえと無責任に放り投げるのは、残される人が了解しているのならいざ知らず、如何なものかと思っている。平成付近の子世代は能力に関しては不明だが、まだ当事者意識は持っていないだろうから、現時点では止むを得ない。当事者全員がことの遂行能力に欠ける場合もあることもありそうで、その時はどうするか。国の法律に委ねるしかないだろう。