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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

ミニマリストと合理主義者の違い、「湯灌」について

湯灌(ゆかん)というのがある。英語だと "wash a dead body" である。Wikipediaによると、

 

葬儀に際し遺体を入浴させ、洗浄すること。簡易には遺体を清拭( せいしき)することで済ませる場合もある。故人が男性の場合はその際に髭を剃られ、 女性の場合は死に化粧が施される。地域差があり、一般的ではない地域もあるとされる。

 

私が自分の葬儀見積もりをした時の湯灌の全体に占める費用は、オプションだが2割近くに達していた。死人には意思もないわけだし、どうせすぐに火葬してしまうのだから・・ということから、合理主義者は「湯灌」を施さない場合が多いだろう。業者は、利用者の選択だからと強く勧めることはなかったが、葬式業者を太らせるだけで無駄なことのように考えるのではないか。
理に合うことを尊重している私は、親の亡くなった時に「湯灌」はしなかったと思う (今では、してあげれば良かったのでは?と思い直している)。

一方、身綺麗にシンプルにと考えるミニマリストとは違う。逆に、そういったところにこそ、こだわりを持つのだろうと想像していたが、これは両立し得ることかなとも思い直した。

 

そもそも合理的に措置しようとするのは残された人からの立場だ。もちろん、当のご本人の判断があり、あらかじめ意思表示をしていれば、それは最大限配慮すべきものだが、もし何もしていなかったならば、あえてすることは必要ないかもしれない。

ミニマリストの場合の焦点は、残された側の他者にはなく、自分の主義主張だろう。無駄を削ぎ落としたいという点で両者は共通しているかもしれないが、尊ぶものの次元が異なるということだ。ミニマリストは他者のことは何も言及していない自らの主義主張だけなのだが、きっと自分のその場合は「ぜひ湯灌を・・」と主張するのではないか。
 
私は、ほどほどの合理性を持った湯灌サービスにてお別れしたいと思う(これが私の意思表示でもある)。