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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

「力づく」で自らの信念を貫く美談

我家は日本経済新聞を購読しているが、販売店が読売新聞系なので、日曜版の「よみほっと」をご厚意で入れてくれている。

昨日のそれに、昭和天皇の料理総責任者として仕えた秋山徳蔵さんの生き方が載っていて、へーっと驚いた。以下のような記事だ。

 

徳蔵は東京の西洋料理店で奉公していた時、料理長が誰にも見せずに作っていた献立表の内容がどうしても知りたくて、ガラス窓を破って入り、盗み出したことがある。

やがて犯人捜しが始まる。

よほど献立表を捨ててしまおうかと思った徳蔵だが「料理人にとって何よりも大切なのもの」を捨てることができず、平謝りに謝って許してもらう。

一流の料理人に必須の好奇心と大胆さを子供の頃から兼ね備えていたことが分かる。

 

単純に一流の人はすごいなという気持ちと、読売新聞の姿勢と、miketoy的ひねくれた心の3つが合わさり、複雑な思いを持った。

下から順番にいくと、「いくら何でも、それはまずいのではないの?」という気持ちだ。
ご本人が語った言葉ではないと思うが、盗みを働くという行為である。盗人にも五分の理がと言うが、そうだろうか。料理長が隠しておくということは、後輩を育てる気がないとしても、だからといって彼は非難はされないのではないか。

百歩譲って、料理長が小賢しい悪の権化のような人であったとしよう。教えを乞うても許されなかったことは、謙虚に受け止め、その場で働き続けることを諦め、他の道を探すべきではないか。
それを力づくで、自分の意思を通そうとしたのはまずい。暴力そのものであり、どこかの国の核弾道ミサイル強行実験のようなものだ。

一時の心の迷いでそうする人と、いつもそんな発想をする人がいる。後者はそう簡単に矯正できない。犯人捜しの始まった時に、献立表を捨ててしまおうという証拠隠滅を発想するくらいだから、目的のためには手段を選ばないという発想が垣間見られる。

 

それを一見美談のように書く新聞社の姿勢にも疑問を持ってしまう。こういうことはたとえあったとしても、こういう一般向けに残すべきでないのではないか。読者が間違ったメッセージとして受け取るかもしれないからだ。武勇伝として美化して、自らの信念を貫いて良いのだと若い人たちが誤解してはまずいのではないかと恐れる。

 

多分後の人たちが数少ない資料をもとに、秋山徳蔵さんを推測しているだけで、実際は違うのではないかな。料理長になるのは、それなりに選抜されてきた人だし、長にもなる頃には考えも変わっているはずだ。自分自身で長年培ってきた大切にしたいものが、軽々と許可なく盗まれて嬉しい人はいない。当時の料理長の気持ちも、わかるようになっているはずだ。

確かに若い頃はいろいろな迷いもあるだろう。それを大人たちは寛容な目で、その迷いが溶けるのを見守らなくてはならない。私たち大人も、その寛容さがなかなか持てずに、住職も破門にしたりするのだが。

http://www.flickr.com/photos/46602640@N00/5778906462

photo by LexnGer