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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

子に嫌われるのを恐れる親

川崎中一殺人事件でもそうだが、親の気持ちを思うと可哀想で涙が止まらないというような共感的な発言は母親視点で良く耳にする。素晴らしいと思う。私は男視点だからかもしれないが、第一には責任問題に注目してしまい、そのような可哀想という女性的発想が真っ先にでることはない。

 
さて、親の子への関与すべきところを、子から嫌われるのを恐れて、母親に限らず父親もうやむやにしたままにすることも多い。それと同じ構図が昨年8月に大阪の親であったのは記憶にも新しいところだ。その親は、自らの事件半年前にあったこの川崎事件をどう考え、子に諭したのだろうか。関係ない世界と見ていたのだろうか。経済的貧困を言い訳にして、子育てにきちんと対峙せず、周囲も含めてうやむやに逃げてばかりいたのではないだろうか。だからこの手の事件は再発するのだ。私自身もうまく子育てができなかった口なので、教師面して説教できる道理でもないのだが。
 
数ヶ月前か、クローズアップ現代で大阪事件に関して放映していた時に、それが今は "普通な親子関係" であるとしていた。何も言わない親が普通、その普通とは多数派のことを言うのだろう。子供達が深夜に家に帰らずにグダグダしているのが普通なのか。 親の怠慢、特に親子関係が狂っているのではと私には思える。その番組で、コメンテーターは、「横の関係」と言っていた。しかし、それは横の関係とは言わない。それは「放任」である。親は子に甘くし、嫌われないような対応をしているのをしばしば見かける。ともかく、このタイプの親は多い。

言うべきことは、きちっと嫌われるのを覚悟で言うことが必要で、それが厳しい親だ。それは、前回述べた体罰的親とは全く異なる。私は教育に携わる教師の立場からは、一歩踏み込んで介入し、けじめを貫く。でも、ぎりぎりのところ、卒業できるか、そうでないかの所では、厳しさを横に置き、無責任になる。だって、親でもないのに永遠にフォローできないもの。出口のところでは甘くなり、それ以上の関わりを断つ。それは仕事の関係なので、やむを得ない。あとは、ご本人の成長を願うしかない。
 
父親的でもダメ、母親的でも限界がある。第三の道を探さなくてはいけないのだ。キーワードは「課題の分離」だ。そんなヒントを与えてくれる私の一押しの本「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えはミリオンセラーになったようだ。親はこういう本を読んで、理解し、行動して欲しいと思う。私の想像だが、問題を起こすような子の親は読みはしない。理解もできないだろう。それをお手伝いするのが教師の役割として奮闘しているが、やはり限界がある。たとえ理解したとしても、行動を伴うことはまた別の難関なので、また援助が必要になる。
 
私自身は自分の子供達に、言うべきことは、きちっと嫌われるのを覚悟で言ってきたつもりだ。だからというわけではないと思うが、嫌われているかもしれない。しかし、それは相手の課題だ。どちらの課題かを分離でき、いつの日にか、これで良かったのだとわかってくれるだろうことを信じたい。
そんな「子育て」は本当に難しい人類にとっての永遠の課題であろう。