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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

熊本大震災に関して感じる罪悪感

引き続き地震の被害の続いている熊本の震災に関して、 地震発生から一週間の間、私は今まで何もブログでコメントをしていない。他の多くの人が、「被災にあわれた方へのお見舞いを申し上げます」の類の他の人のブログ記事などを見ると、このままのマイペースで良いのだろうか、罪悪感というか、居心地の悪さを感じる。私も何か一言、と思っても、通り一遍のことしか出てこないのだ。

そのようにタイミングを逸するのは毎回の事だ。東日本大震災のときも、阪神淡路大震災のときもそうだ。他者に見てもらうことも意図して "ぶろぐ村"に登録はしているものの、やはり独り言の日記でログなので、他者に見られることを想定しては書いていない日記的性格なはずだから、表面的に取り繕うことを書くのはそぐわない。良い人でもない自分を偽善者ぶろうとする態度自体が嘘くさくて、関連したことを記すことに少し違和感を感じるのだ。

 

エクアドルでの同時期に同程度の地震では570人以上の死者であるという。1/10の規模ではあるが、同じ国内で同じように暮らしている人で身近だから、何かせねばという思いはあるが、正直に告白するならば熊本も遠いところに感じる。2月には福岡県朝倉市に移住体験をしたくらいなので九州に思いがないわけではないが、熊本県に安否を気遣う知り合いもいないし、今後も接点はあまりないだろう。震災にあった人には、本当に気の毒だとは思うが、「大変でしたねー」という以外にかける適当な言葉を持っていず、あまり続かない。

でも、身近に引き寄せて、近くで起こったら、その時にはじめてアタフタすることだろう。それまでは、やはり余所のことなのは仕方ない事。遠くの方から、そのように言葉をかけられたら嬉しいだろうか。それよりも実質を伴う義援金のほうが望ましいのだろうか。同じようなことには、しばしば遭遇するのだが、よくわからないでいる。