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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

「神モノ」を断捨離

8月はじめに退職するので、10年以上使っていた研究室(書斎のようなもの)にあるモノを処分している。通常の人より、書籍や書類、備品の類は桁違いに多いはずだ。初めの頃は先も見えないから大変で腰も重かったが、ひとたびバサバサと捨てる感覚に慣れ始めると、一気に弾みがつく。今の慣性を維持してゴールは見えているが、この手の事はやはり慣れなのだろう。引越業者のような関係ない第三者ならば客観的に処理できるし、そのあたりのノウハウも蓄積されているから要領良くできるのだと思う。

 

モノを処分することは、過去の栄光、すなわち自分が誇りに思っていたコトを捨てるようなものである。今まで何度もの引越しがあっても、捨てずに必ず運んでいた「神モノ」があり、その処分は辛い。

 

IT関係は、その歴史とともに生きてきたからなかなか捨てられなかった。MacSE/30は極めつきだ。27年前の百数十万円した機械だが、電源が入らなくなったりならあきらめもつくものの、まだ快適な速度で動く (機能を果たし操作できるという自己満足だけで、生産性は低いため使っていないが)。
博物館に寄付したいが、それを探すのも大変なので処分する決意をした(どなたか東京圏で欲しい方には、来てもらえればさしあげたい)。

Windowsのパソコンも全部処分。10台以上あったタブレットも、総計3台に絞る。何も変化がないと、そのまま持ち続けているだろうから良い機会だ。

Old Macs put to good use

迷うものの1つには授業において使用した手垢のついたテキストがある。学生の時の黄ばんだ本への思いと教師になっての「テキスト」の意味は全く異なる。自分で書いた本を含めて良い本を選んであるし、入れ込んで苦労した「仕事」への思いがある。それもAmazonの商品紹介で、入手は可能だろうから情報のみを残すことにして、処分することにした。また教える機会があれば・・とも思ったが、もう教えることはないだろう。著作本や執筆論文の抜刷り、各種の業績も「仕事」なのだが、それも残念ながらもう消費期限は過ぎている。

「パーソナル」な分野では若い頃の写真のアルバムは典型で、思い出のあるものも少なくない。その頃に思っていたノートや自筆の記録などは思い出もある。でも、そんな思いに耽っていると、片付かない。そんな過去の栄光は、私以外に誰も欲する人はいない。現役のときは、迷ったらキープだったが、今の年齢となっては迷う時は「捨てる」という原則を貫かざるを得ない。

所詮、なくても生きていくのには困らないものだが、人生の「節目であった片割れの情報だけ」は保存しておきたい。断捨離するということは、そんな人生の節目の通過点を振り返る意味もあるかなと思った。
あまり先延ばしせず表紙だけをスキャンしてあとは即処分の方針で処理を進めている。スキャンしてデジタルファイルにしておけば良かったと後悔した写真もあったが、ひとたび捨ててしまえばあきらめもつく。

私の親のときの遺留品の処分では大変苦労した。私の関連のものの処分では、子ども世代で苦労する事はまずないくらい少ないはずだ。幸せな次世代だなと思っている。