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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

人生の節目、子育てで 学ぶ親心

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結婚して2年後、子が誕生した。誕生を控えた病院で、俺もこれで親父だ!と、一人前になったような気がしてニヤけてしまった覚えがある。子の誕生、そして子育てをしてわかったことは数多い。これも人生の、若かりし頃の大きな「節目」に相当するものであろう。親の子に対する思い、そんな親視点は子ができるまでは全くといって良いほどなかったが、親に対する理解が少し深まった気がしていた。

 

子を通して、自分の叶わなかった夢を実現したいと思ったりもした。私は教育熱心な父親だと自分で思っていて、理想の子どもを素晴らしい環境で育てるのは願いでもあった。
「親業」を含めていろいろと勉強したりしたが、子への最大のプレゼントは「教育」だと長く信じていた。子供が小さかった頃に、仕事を投げ打って良い教育を受けさせるためにイギリスのクリシュナムルティスクール行くことすら考えた。そこでボランティア的に働き修行をしながら、子をその学校にいかせようと本気で考えたのだった。でも、授業料がバカ高かったこともあり断念したことを思い出す。

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ハワイにあるアドラースクールも良いなと思ったが、この手の良い教育に対する主張はシュタイナー教育などいろいろある。 自分で理想の学校を作ろう、経営を・・とまで思い込んだこともある。でも所詮は教育の素人だし、教育現場を知らずに経営することは無謀すぎる。そんな形で参入しないで良かったと思う。


K-12か高等教育段階かよりまた相違するだろうが、親がレールを敷きすぎるのもまた問題だし、そんなことを親がしても、ご本人にとってはあまり変わりはないかも?ということを、教育現場の経験をした今となっては思う。親の子に対する介入は、せいぜいできたとして高校生くらいまでではないのだろうか。あとは、ひたすら見守るしかない。そんなふうに私なりのポリシーでやってきたが一般化できるものでもないし、本当にそれで良かったのか今でもよくわからない。

 

ともかく「親をする」ことを通して、不完全な親(自らのことと、自分の親も)である、あったことを認識し、許容する。逆説的だが、子育てを通して「親としての役割を教育してもらい」、大きく成長できた機会であり、節目であった。