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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

人生の節目、社会人大学院での学び

人生の節目シリーズを再開する。

 

私は大学学部卒業後に大学院は入学はしたものの半年で中途退学し、会社に入った。会社入社後にも、2回大学院入学のチャンスがあり、入学はしかけたが、結局は修了はしていなかった。だから、中途半端だなと自分自身でも、どことなく不全感を感じていた。 

 一方、20年近くいた会社にそのままいても先は見えていたし、あまり情熱のわかない商品を顧客に売るために社内で消耗するのにも疲れていた。
転身のきっかけは入社後10年近くでの大学への出向だったが、具体的に動きだしたのは40歳の時。大学院を終了し、会社員から脱出という目標を立てた。社会人対象の経営系大学院ができ始めた頃だったが、とりあえずは修士課程を終えること。ただ、それだけでは、大学教師への道は開けなかった。

その終了後に少し間をおいて43歳。別の大学院で博士課程にも行きはじめた。こちらは長年、コンプレックスを感じていた憧れの大学だったから、入学は嬉しかった。今までの未完了を拭いされた感があった。計5年間で学費も時間も多大に費やした賭けのようなものだったが、良い機会だったと思う。

もう会社には見切りをつけていたが、妻子を養う必要があるので、不本意ながら給料をもらう生活はキープする必要があった。 そこでは会社に在籍のまま許可をもらった。これは大きかった。修士課程の2年は、土曜日と平日のノー残業デイのゼミの日のみで、自分の時間はほとんどなかったが基本的には支障なし。博士課程は平日のみ開講だったので、週に半日くらいの有給休暇をとって毎週一回通った。できるだけ同僚などには内緒にしたかった。仕事とバッティングした時は、常に仕事を優先したが、そうでないときは定時で帰っていた。仕事はできた。会社内部を向いた仕事は辟易していたので、お客さんのほうを向いて仕事をしていた。感謝状もたくさん頂いた。それでも、陰ながら、あいつは残業しなくてずるいとの反発はあったようだが、妬みに違いないと思っていたので聞こえないフリをし無視した。

私は迷惑をかけずに行っているつもりだったのだが、上司からも迷惑をかけているから・・と言われたこともある。それはないだろうと言いたかったが、もう心はそこにはなかったから我慢した。

ともかく、当時の社会人経験の長かった私にとっては、大学院は所詮浮世離れした戯論という意識があり、大学院で学ぶこと自体はさして期待はしていなかった。博士課程修了時は46歳になっていた。

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