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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

「自立」には程遠い世界

履修登録がまだ済んでいないぞ。休みが多くて、警告が出ているぞ。全学生対象の配布物があるから取りに来なさい、アンケートがあるから回答しなさい等々。掲示に出ている内容の行事の通知の類を含め、手取り足取り指示する (私が学生なら、煩いなあと思うだろう)。

学籍異動などの可能性を抱えている学生で将来火を噴きそうな場合は、修学指導報告書を出してフォローする。場合によっては家に電話をかけたり、手紙を出したりする。

前期末の提出期限にしているレポートも、その時間に遅れる学生が必ずいるだろう。理由は必ず聞くのだが、正当な理由があればよいのだが、ほとんどの場合に寝坊したとか、気づかなかった、忘れていたである。 見ればわかるだろう。書いてある!!、と言いたくなるし、ここまで手取り足取りやると甘えが出るのも明らかだ。その傾向は随所に見られていて、ただでさえ受け身なタイプの学生に、「待ちの姿勢」を助長しているように思える。我儘な人のお世話をするのは御免被りたいところだが、放っておくと本当にしない。それをするのが仕事なのだと言われたら、返す言葉がない。私個人としてはお手上げだし、そんな大人扱いしない方針には反対なのだが、指示なので事務的に対処はする (大人扱いさえすれば解決するのかも疑問である)。

 

こういうのは好きではない。お互いに選択しあう関係のゼミではないから、指定人数までは受け容れなくてはならなかった。そこは仕事である。全員に目配せして、全員を卒業まで持ち上げることを目指すという意味でも義務教育的でもある。そういう基本的な学習習慣の確立は私の周辺ではできているとは言い難い実情だが、小中学校ではできているのかなぁと疑問に思う。
そんな「人を育てる」、いわば教育に対して悩んでいる人に対して、この本はヒントを与えてくれる。教育の目標は「自立」すること。それからすると、自立に少しは近づいたか?、それとは程遠い到達度と言わざるをえない。また教師としての立ち位置としては、"仕事のタスク" でなく、"交友のタスク" レベルの関係性を目指すこと。基本的と思われることも、"本当に知らなかったのかも?" ということを含めた態度を持つ。前期に読んだ「嫌われる勇気」の続編のテキストとして、後期に読み合わせをしたいと思っていたが、その機会はなくなった。来年以降の住み替え先のどこかで、機会があれば子育てなどをしている社会人と読書会をしたいと思う一冊である。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

私もまだまだ人間ができていない。無条件な信頼や交友のタスクが学生と、ほとんどできていない。だからうまくゼミも機能しなかったのだろうと、今になって思うけれど、果たしてそれができるかどうか自信はない。ともかく、もう時間切れだ。

 

少し気になるのは通年担当予定だったゼミ生の行方だ。最終ゼミ指導の時に「私はこの8月で辞めるのだ」と言ったが、ノリはいつも通りに悪く何も反応は一切無かった。少しくらい悲しそうな顔をしてくれても良さそうなものをと思ったが(笑)。彼らには、幸せになる勇気を持って Good Luck !! と言ってお別れしたい。

Selfie Stick Circa 1963