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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

ライフワークは地域、実践

何か自分なりの軸がないと、暇を持て余すばかりの生活でハリがない。これから10年は「地域」をキーワードとして行こう。

さて、9/5の昨日まで防災週間であった。

  国、地方公共団体等は、こうした「自助」、「共助」、「公助」それぞれが適切に役割を果たすよう、「災害被害を軽減する国民運動の推進に関する基本方針」及び「平成23年度総合防災訓練大綱」に基づき、行政における十分な準備と訓練を行うとともに、国民に対する防災知識の普及・啓発を図り、災害被害を減らす取組を推進することが必要である。

 

とされているように、キーワードは自助、共助、公助である。自治会活動をしてはじめて学んだ言葉であった。専門家ではないので、間違いもあるかもしれないが、私は次のように解釈している。

公助は社会福祉だろう。役所などが、ご本人の申請ベースで助ける仕組みと言える。これを活用しない手はない。そのためには高度なことは決して必要ではなく義務教育程度の社会科公民程度の知識だが、忘れている人も多いことだろう。権利としてあることを知っていれば、あとは手続きをするだけである。

自助は、自立の証でもある。自分の身は自分で守るということだ。自己責任とは少し違うような気がする。自ら責任を取った人だけが、責任を負う。弱い立場にいる人は、なかなか自助でき得ないかもしれない。そんな時は、公助に頼るのはやむを得ない。

共助は難しい。人のために役に立ちたいという人は多い。私は少し疑問に感じる場合もあるのだが、自分自身のことが十分にできた上でのことなのだろうか。自分のことを後回しにして、他者の援助はできるのだろうか。それは自分自身を大切にしていないことに通じないだろうか。
まずは、自分の身の安全を確保した上で、他者の見守りではないか。少しでも余裕のある人が、周囲の困っている人に対して、手を差し伸べる。これが共助であり、結果的に公助を補完する役割を果たすことにもなるだろう。

余裕のある人とは、自分の頭の蝿は追える、あるいは追い終えた自助できる人だ。余裕のない人に共助をいきなり呼びかけても、うまくいかないだろう。そんな自助ができ得た人のネットワークから共助への輪が大きくなっていくことを期待したい。

腰が引けている人が多いと困るのだけれど、引けてない人がその分を引っ張るということで、バランスしているのかもしれないなどとも思う。理屈だけではない地域での「実践者」を目指したいものだ。

 

エネルギーの自立問題も地域問題と同様な構図を持っている。自然エネルギーを媒介とした新しい街づくりに向けた普及活動だ。自然エネルギーを普及させ、原発に頼らない社会、ただ反対するだけでなくて、こうしたらという代替案を提示する建設的な社会を築きたい。道は遠いと思う。しかし、やっておいたほうが良いのは明らかだ。

 地方創生は果たして可能か?という問い。答えはイエスアンドノーである。「自立」と密接に関わっていると思うが、私たちが適切に動けば可能だろう。流れに任せたままでは、先は暗い。果たして人類の滅亡までに間に合うかどうかはわからないが、傍観者ではなく、当事者として、この課題を解くゲームに参加したい。

O Tejo (1967) - Carlos Botelho (1899 - 1982)