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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

私の遺品は iPad miniに

昨日のNHK Eテレ団塊スタイル は「気になる親の暮らし」、片付けられない親の汚部屋の話だった。

tver.jp

 

遺品はそこでは大きな位置を占めるので、番組の本筋の内容ではないが、今回はそこに限って述べよう。遺品は財産価値の薄い物品も含まれ、残されたもの全部を遺品という。それを財産とは別に、形見分けしたりすることもあるわけだ。たくさんある遺品の中から、1つ2つに絞って、形見として残す。それ以外は処分すれば良いだろう。番組では、亡くなった夫の何足もの靴や、着ていた服、そして湯呑みなど、が遺品の対象だった。 そこでの判断は、誰のための遺品かということになる。

合理主義者的考えとしては使えもしないもの捨てれば良いと思うが、残したい気持ちもと余裕があるなら残せるものは残せば良いだろう。

そこで気になったのは、ご本人を最も大切にしていたものを、その意思を尊重してそうして欲しいのでは?とも思った。私はそういった外見ではない別の何かがあったはずと信じたいが、そうでもないかもしれない。

ご本人の真意は別として、残された人が、故人を思いだすための道具なのかもしれない。だとしたら、残された人が、自分との関わりにおいて重要と思うものを自分の視点で勝手に決めれば良い話となる。となると、結局のところよくわからない。

 

私の場合はもし今に近い時ならば、接触時間の圧倒的に多いiPad miniだろうか。でもそれは一緒に持っていきたい(笑)。とするならば、本人の好んでいた大切に思うモノは棺桶と一緒で、他の人の思う大切なモノは、いつも来ていた服など身の回り品などで、ご勝手にという位置付けで良いのかもしれない。

 

ところで、あの番組は風吹ジュンの立ち振る舞いは魅力的である。ああいうところで、自然に涙ぐむ感性はとても素敵だ。今回に限らず、人の機微にとても敏感である彼女に惚れてしまうことしばしば。

Pocket Timepiece 4181