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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

愛情のタスクは最も難しい

アドラー心理学では人生の課題を3つ、すなわち仕事のタスク、交友のタスク、そして難易度の高い愛のタスクと分ける。対人関係の距離の最も近いのが愛のタスクで、夫婦の間と親子関係では区別して考える必要があるが、共通するのは運命共同体であることだ。私も実践できているかと問われれば、自信がないと言わざるを得ないタスクである。この人と一緒にいるととても自由に振舞えると思えた時に愛を実感できるという。交友のタスクでもあり得ることだが、一緒に暮らしているわけではないから、やはり愛のタスクと比べると一側面でしかない。同じ屋根の下で暮らすなどの、生活を共にする夫婦や親子のような関係においては日々の暮らしもあるから、深さは別としても距離は異様に近いままなので、四六時中対人関係とトラブルに遭遇し得るだろう。

 

 親子は同居時代はそうだろうが、独立した生活を送るようになると、どう変わるだろうか。ベストなケースは、たぶん交友の関係に戻るのではないか。いい歳してまで永遠に親子関係のままで維持しているのは側から見ると奇妙だ。こういうことを、自分に引き寄せて考え、説明できると説得力が増す。

私の親子関係でどうか。 不満を持っていないわけではないが評価するならば私の人生の減点の10点な所以だ。親子関係でも、仕事のタスクは基本だ。メールを出していても、返事が来ないことはしばしばあるのだが、親子関係でも仕事のタスクが確立されていないことを物語る。相手の思いを理解しようという心と共通するところはあると思うが、甘えの温床の可能性もある。

愛のあり得る関係において何かとんでもないことが起こった場合、愛のタスクができているかどうかが試される。たとえ相手が拒否し続けていたとしても、永遠に見守り続ける、そんな感じかな。親子の絆とはそんなものだろうと、少しやっとわかってきた気がしている。例えば家の引継をしなくてはならない。これは共同でしなくてはならない、但し「仕事のタスク」である。

 

昨日は、私のお別れ会だ。私の葬式の時に来てもらいたい人たちである。兄妹、子ども達を呼んだが全員は来なかった。「還暦の祝い」でもそうだが、今回の「父とのお別れ会」にご招待しても来て頂けない方が数名。交友のタスクをとりたくないのだろう。これからすると、私の葬式にもこないのではないかとすら推察でき寂しく感じる。私の身近な人間関係での不全感はこれなのだ。メッセージはお送り続けているが、もう諦めた。

だからと言って、子に仕返しをしようとは思わない(笑)。見返りを求めているわけではない。人生の節目に迷ってどうしようもなくなった時に、たいしたことはできないかもしれないが、相談に乗るくらいだろうか。肯定的諦めの境地でいる。仕事や交友のタスクの基盤ができていないのに、さらに上位の愛のタスクを語ろうとしていることに虚しさがあるのだと思っている。

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