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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

高齢者のリハビリ、必要なのだろうか

Rehabilitation

厚生労働相の高齢者に対する諸施策とアドラー心理学での立場では、人間観がある意味では共通しているのではないかと想像している。以前に読んだ別のアドラー心理学本で(そのオリジナルではないかもしれないが)、たとえ身体が不健康で死に瀕していたとしても、精神面において人は幸福であり得るということや、高齢者になって周囲が至れり尽くせりで役割がないとボケることしかすることがないではないかと書かれていた(廃用症候群に相当する)記述に妙に納得したものだった。

現代のリハビリテーション治療の流れも同一なように思える。リハビリテーションは、急性期、回復期、生活期、そして終末期と段階をふみ、医療ケアの内容は異なってくる。4段階目の終末期においては、在宅、施設、病院のいずれかを拠点として暮らす。最期まで人間らしい存在を保証されながら、苦痛を軽減、解除されたい。こういうことを考えるのは、終活そのものだなと思うが、その終末期リハビリテーションでは、次のようなケアが例示される。

 

  1. 生活の保持
  2. 不動による苦痛の解除
  3. 不作為による廃用症候群の予防
  4. 関節の著しい変形、拘縮の予防
  5. 安楽な呼吸の確保
  6. 経口採取の確保
  7. 尊厳ある排泄手法の確保
  8. 家族へのケアなど

 

一方、ここまで手厚いリハビリテーションは必要なのかなという思いもある。かつては、自然のままで老衰的に人は死んでいった。いき過ぎた延命措置などを時折見かけるのだが、お迎えが来た時は、(心の準備のために少しばかりの猶予時間は欲しいものの)素直に出向けば良いのにという思いを私は持っている。