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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

帰る先はどこかなあ

country home color
認知症は、「中核症状」という記憶・見当識・実行機能障害、判断力・抽象思考の低下、失語・失行・失認と共通する症状と、妄想、幻覚、多動・興奮、焦燥、不潔行為、暴力暴言、介護への抵抗などの個人差が大きい現れ方の「周辺症状」がある。
その周辺症状の1つで、非常に厄介なのが「徘徊」である。自分の家に住んでいても、自分の家を探しに行くようになるという。自分の家、帰るべき家、心休まる安心できる場に戻りたいということだろう。おそらく徘徊しようとする今のその場の居心地は、さほど良くないのかもしれない。本当に脱力的にリラックスできる場というのは、もしかしたらずっと昔の親の庇護の下で暮らしていた子供の頃だろうか。そんな原点に戻ろうとする感じが、わからなくはない歳になってきた。

 

私も高松市に移り住んでから4ヶ月余り、終の住処の研究を始めて、終末期までをどこで過ごすかということを考えるようになった。現時点でもし、障害に陥ったらどうするか。住民票は移しているものの、高松市はまだ私の帰りたい故郷にはなっていない。住み替えた今の地には、知り合いもいるわけでもない。帰るならば千葉の本籍家に帰りたい。私も余命数ヶ月ともなれば、結果的には戻ることになるだろう。英語で言うと、permanent address、 未来永劫と続く手がかりとなる住所だ。それは、私の場合には親の住んでいた、そして私が立て替え直して10年以上住んでいた家で、今と比べれば遥かに愛着はある。徘徊するようになったら、こっそりと今のマンションを出て、高松空港界隈まで徘徊し、予約がなくて乗れずに皆様にご迷惑をおかけしまくるのだろうか。

その気持ちも一方では薄れてきてはいる。その帰るべき家の決まる分岐点はどのあたりだろうか。最低でも2,3年くらいは必要かな?。今のマンションが心の故郷となる段階に至れば、納骨は別としても、事態が大幅に変わらない限り、こちらで終末期を迎えることになるのだろうと思っている。

miketoy.hatenablog.com