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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル ☀ Miketoyの85点人生のライフログ

模範回答は本当に正しいか?

arguments

検定試験の勉強をしていて、大方は模範回答の解説で納得するのだが、時にはそれはないだろうと感じる回答もある。その種のことは、何が最も大切かという優先順位に関する意見の相違であることが多い。以下に3つの正誤問題を例に挙げる。


「その人らしい暮らしを目指した福祉住環境整備を行う場合は、自立支援のための機能性を重視する」


この記述の正誤は誤で✖️である。解説は、「福祉住環境整備を行う場合は、機能性やコスト面を重視するのではなく、その人らしい暮らしを回復、実現、維持するために本人の考え方を尊重することが重要である」とある。重要なことは了解だが、重要度の優先順位の判断は難しい。私の理解が足りないのかもしれないが、個人的には基本的な機能性が第1に優先されるべきで、第2がご本人の要望、第3が追加的な機能性となると思うので、優先順位に対する意見の相違である。別のところ、例えば廃用症候群を避けるために、自分でできることは自ら行える状況を作るべきで手を出さないという記述もあり、立場が一貫していないようにも読める。関連して、次の問題はどうだろうか。


「在宅介護における自立支援の最終目標は本人の社会参加、または自己実現である」

 

理念としてはそうなのだろう。終末期に近づくにつれ、その示された目標はタテマエで、嘘くさいなと思い、誤りと回答したら、それは誤りだという。解説には、そのための福祉住環境コーディネーターは、医療福祉の専門家だけでなく、地域の人々やボランティアなどと共に協働していくことが重要である。したがって、正答なのだそうだ。
理由になっていないと思うが、私はこの "最終目標" というのは価値観の押しつけだと思う。本人が、社会参加などしたくない、自己実現など胡散臭いのは不要、俺は自分勝手に生きるのじゃという主張も受け容れなくてはならないと思う(決して少数派の考えではないと思うが、最期くらいは目一杯我儘にさせてよと思う私自身がそうである(笑))。

介護の徘徊しようとする制止も似た関係にある。次の正誤問題はどうか。

 

認知症の周辺症状の1つである徘徊は、外出して迷子や事故にあうなどの危険があるため、強制的にでも止める必要がある」

 

解説には、「・・・事故が起きないように見守るなど、安全性に配慮して本人の欲求を満たす工夫が求められる」として誤答とされている。毎回毎回、一緒に外出をつきあい振り回されるのでは援助者もたまらない。被援助者の一時的な気紛れでそのうち治まることもあろう。命に関わる事故にもなり得るし、実際は制止が基本ではないか。もちろん、いつも制止するばかりではなく、最大限の説得を試み、時に止める。状況の良い時には、できるだけ外出をお付き合いしてあげれば良い。そのあたりが、1か0での判断なのが気になる。言葉足らずなので、この種の曖昧問題は出題しないほうが望ましいのでは?と私は思う。

 

単なる「我儘」かも?と思われることをどう許容するか、"パターナリズム" とも関わり、後日の別途の記事で整理したいが、価値を最終判断するのは相手で、おしつけはできない。精一杯理解し合う努力はするとしても、然るべく判断が下ることはある。どう判断するかは相手の課題である。

この種のちょっとした「意見の相違」で関係が険悪になるのは、学会などでも良くあることだ。でも、別に試験で満点をとる必要はないのだ。意見を戦わせても試験の出題者が勝つのは自明であるし、主張を通すための競争から降りること。権力闘争をしてはいけない。

合格水準は7割なのだ。と言って7割目標でやっていると、通常は目標以下で落ち着くから合格水準は保てない。実際は試験会場での不注意のミスもあろうから、私のブログの説明と同じで85点を目標として勉強し、合格水準の7割をクリアといったところだろう。

競争から降りることは、必ずしも負けを意味しない。そもそも、その種のことは勝負でも何でもないというのが、アドラーの教えだ。タテマエとホンネということもあるだろう。自己主張やホンネはとりあえずは抑えることにして、試験終了まではおとなしくタテマエのみで過ごしたい。

さて、タイトルに関しての結論のまとめ。一般の書籍で公開に晒しているくらいだから模範回答は99%以上は正しいことも多いだろう。でも決して、100%正しいを意味するものでもない。もちろん回答者の私は明らかに不完全だが、出題者とて完全な人間ではないと私は考える。