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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

パターナリズム

Paternalism
Wikipediaにはパターナリズムは次のようなものと解説されている。

医療現場においても、1970年代初頭に、エリオット・フリードソンが医者と患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある。

 

最近での各種の相談業務の進め方において、上記のパターナリズムは戒められている。しかし、患者の利益か、患者の自己決定の自由かに関しての議論の決着はついていないはずだ。

市場では得てして、お客様第1主義で、ポピュリズム的な傾向は強く見られると思うし、それを企業理念で掲げているところも少なくない。私も反対ではない。社会保障制度でも同様なことがあるのだが、私も教育の現場にいたことはあるので悩んだこともある。ご本人の長期的な利益にならないけれども、ご本人が現時点で強くそう欲すると言った場面である(適当な例ではないが、麻薬のようなものをイメージすれば良い)。決して少数派ではない深く考えていない、理解できていないかもと思われる人の刹那的な要求対処にはどう取り組んだら良いのだろう?ということだ。

頼られて、ご本人は何も学ばない、また似たようなことが再発する。最初は、今度は失敗なく自分でできるようになろうねと言って、再度教育する。そして、また起こる。そして頼られる、この繰り返しだ(自分でできることを欲していないからだと想像するが)。

理の分かる人には、「理」を説く。そうでない人にも、何度かはあの手この手で異なった角度から「理」を説く。それでも「理」を理解してもらえなければ、それ以上の説得工作は意味はない(と思い)、現時点では教育は難しいと諦め、代行をするという構図をとりがち。以前よりは気が長くなった方だとは思うが、相手の課題であっても面倒臭くなるともう良い!、こっちによこせ!、代わりにしてあげるから・・となってしまう。相手は、ラッキー😜と喜ぶだろうか。そのようなことが、なし崩し的に来ることはしばしばだった。そうして、それが当然のように振舞われるので面白くもなかったが、それが仕事でもあった。

私の周辺、妻も含めてだが、そういった頼られるということは、私自身がパターナリズム的なオーラを醸し出しているから遭遇することが多いのだろうか?と思い始めた。この悩ましい事態にどう対処したものか良く分からないまま肯定的な諦めをして、この問題にはケリをつけているつもりである。