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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

我儘バーさんどこへ行く

The Beauty of Old Age

私の両親はもういない。父親は我儘ではなかったと思う。母親もそれほどでもなかった。妻の父親は、数年前に亡くなっていて、比較すれば我儘だろうが許容範囲内である。義母(92歳)は、話を聞く限りは、かなり我儘な人で、自己中心性もかなり高いようだ。人から、いろいろとやってもらっているにも関わらず、感謝の意も極めて少ないように見える。されて当然と思っているようだし、要求レベルも高い。それは、単に言葉だけではなく、態度にも現れる。財布もキチンと握っているようで、どこかの国の最高権力者そのものと似ている。

私は死の準備をしているし、残された人たちに迷惑は最小限に留めたいと思っている。しかし、そのような人は、自分の死後の他者への迷惑を何も考えていないで、子だから親の面倒をみて当然というような考えを持っている。
私は第三者的にみて、娘である妻は(もちろん自分の趣味が第一優先だが)、良くケアしているのでは?と思う。生死の境目でもないような状態の時に、ただの自分の些細な好みや気まぐれでこちらのやりたいことができずに振り回されては堪らない。妻の言葉をそのまま信じるとそうなるし、それは良くわかる。今後に不遜で我儘な態度は修正されるとは思えず、そのまま続くだろうから、私は放って聞き流しておけ、時の流れに任すしかないと余計なアドバイスをしている。

一方で、別の論理もあるだろう。一度、病院で同席した時に、ケアマネジャーさんは、いつもその義母の話だけを聞かされているから、そうなのかなと思ってしまうと言っていた。それはあり得ること。私も妻の論理だけを聞いているから、それは酷いバーさんだと思うが、実際はそれほどでもないのかもしれない。接点のさほど多くない私のいる時は、遠慮して謙虚に振舞っているのは予想がつくが。

 

義母の最終的な行く先は、言うまでもなく私と同じであの世だ。私達世代が先に行って、初めて、今までしてもらっていた有り難さが、わかることになるだろう(その後は、当然ながら大混乱が予想される)。子世代だけに限らず、年金を十分すぎるくらいもらっている親世代までも、元気な余裕のある私達世代が同じように面倒を見なくてはならない。もう他者を養う能力の無くなった年金世代の私が、理不尽だと主張しても説得力がないけれど。

問題は最終段階に至るまでの住処をどこで過ごすかが重要になるのだが、それは次回に。