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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

心のバリアフリー

Summer holiday 2014

バリアフリー」には、心のバリアフリー、制度のバリアフリー、環境のバリアフリー、情報やコミュニケーションの4つの側面があると言われる。障害者白書では、物理的バリア、制度のバリア、文化・情報のバリア、意識のバリアとされているようだ。それらのバリアフリーを可能な限り乗り越えていくことが重要だと言われる。
バリアフリーの実現は、環境のバリアフリーは力ずくで何とかできる。これとて、お金のかかる話だから、そう簡単ではない。情報のバリアフリーもそうだ。情報の非公開、問答無用で断ち切る世界はこれだ。小池東京都知事が良く訴える「透明性を高める」動きは、とても重要だと私も思うのだ。制度も重要だ。複数人数で社会の問題を解決していくための制度、その確立には、合意形成という大きな障壁が立ちはだかる。一番難しいのは、心の意識や文化のバリアフリーだと思う。心のバリアフリーができれば、残りのものは後からついてくる。それが、なかなか克服しにくいから、形、物理的なものから入るのは突破するための1つの手だ。さらに制度を設けて、罰則規定など設定することにより、徐々に浸透を狙う。そのうち、皆がそんなものだと思うようになる・・というシナリオ展開だ。

誰もが本音として持っていて無意識になっている文化的側面が立ち塞がる。ご本人が気づいていないこともままある。世の中の、立場の強い人の考え方が変わらなければと言われるが、本音と建前でのジレンマである。

福祉コミュニティのあり方の勉強をしていて、次のような記述があった。

地域社会の中で、要支援者を対等・平等の存在と捉えて接する「意識や態度」と実際に何らかの支援に加わる「行動」の両方を、できるだけ多くの地域住民があたりまえのこととして実践するよう・・・

 図で示すとこんな感じだが、私はこの段階Ⅴの特別な存在でなく対等の存在というのは、現実社会とはあまりにかけ離れすぎで、理想論すぎに思えてならない。

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話は少し変わるが、少し前に県職員の募集、そこに障害者採用も出ていた。バリアフリー法があるからであるが、本当に障害者を積極的に採用したいか?本音ではそうでないだろう。法律で一定数とらなければということで、ある意味では仕方なく法令遵守という感じか。それはそれなりに意味はあろうが、あくまで規制、「制度のバリアフリー」である。規制が外れたら、本音の世界に戻るのだろう。本当は面倒なんだけれど・・・という障害者採用の建前と本音ではないか。

障害者差別解消法には、「合理的配慮」という抜け穴がある。行政機関などは義務だが、事業者は努力義務だ。ただし、過度な負担になる場合は免除される。合理的配慮とは、障害者等から何らかの助けを求める意思の表明があった場合の、過度に負担になりすぎない範囲の、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。
相模原殺傷事件の記憶も記憶に新しい。私達の心のどこかに、彼のような意識が少しでも巣食ってはいないだろうか。私も綺麗事を言っているが、正直に告白するならば全く無いとは自信を持っては言えないからだ。


こうありたくないと思う姿(例えば、老化現象)は、暗にそれを否定しているようなものである。これも「心のバリアフリー」に通じるものがある。そのような私の考え自体も、意見の異なる人からは否定されることだろう。

この2日に麻生太郎副総理が、地元の祭りの日程が近いとした上で、「このときになったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と差別的表現を使い語ったそうだ。悪気はないと思うのだが、この例でもご本人の考え方は言葉の節々に現れてくる。バリアフリーへの道は、あまりにも遠いなぁという印象である。