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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

誰にでもいい、本当か?

夏休み明けに子供の自殺が急増する問題を巡り、文部科学大臣が、「あなたは決して一人ぼっちではない。家族や学校の先生、友だち、誰にでもいいので悩みを話してほしい」とのメッセージを表明したという。この手の「誰にでもいいから」という表現は他のところでも聞くのだが、いつも違和感を感じる。趣旨はわかるのだが、文部科学省のような部署の人は、無意味な戯言でなく、もっと適切な言葉をメッセージとして使うべきではないか。

 

前文はまだ良いが、次だ。誰にでも良いわけないだろう。警察官だって先生だって中には怪しい人が多いし、子供を狙っていたり騙したりする人すらいる犯罪の少なくない世の中だ。ニュースを見ていれば、その種の事件は日常茶飯事。悲しいことだけれど、一応警戒して接することが、その後の人生のためにも重要だろう。最後の砦が親だが、そこも怪しい今日でもある。

最も身近であるはずの親に自分の窮状を言っていないのだし、学校でその位置にいる先生にも言っていないのだ。虐められていることを友達になら言えるか、そもそもそういうことを話せる友達がいるのか。誰とも関係性を持てなかったからこそ、そのような結末になったのだろう。仕事のタスクも友情のタスクも愛情のタスクも築けなかったのである。信頼に値する大人が少ないということを物語っている。不登校児もそうだが、多くの大人や先生は「敵」なのである。信頼できない敵に、相談に行くはずないではないか。想像力を働かせれば、自明だろう。

 

但し、実親や先生、警察官などは、いつも完全とは限らないけれど、他の職種よりも一般的信頼という意味では高いだろう。情報不足の時は、培ってきた一般的知識が頼りだ。子供達を守ろうという意識は、たとえ自分の子でなくてもまっとうな大人なら持っているのではないか。巡り合った親や先生が不運なことに信頼できなくても、まっとうそうな大人(に見えた)なら相談を受け容れる準備はあるだろう。私もその対処力は持っている一般の大人のつもりではあるが、彼等から見ると信頼に値しない大人の1人と映るかもしれない。多くの場合に、自分の力量を越え、手に負えない時もあろうが、より適当な人に橋渡しをしてくれるだろう。

 

ともかく、「誰にでも良いから」は間違いだ。一番適当な人は、カウンセラーだ。たぶん、変な人はいない(と思う)。コールフリーで窓口があったとしても、そういう人はあまり出くわさないし、人も不足しているだろうし、敷居も高い。アクセスの容易性は今後の課題であろう。対応もとても難しいが、カウンセラーは一般的にはそれなりのトレーニングを受けているはずで、相性もあるが、トラブルのもとになったバイアスのかかった親よりも遥かに度量も広く有益なアドバイスや情報をもらえるはずだ。でも、 長い間培った人間観を数分でときほぐすのが容易であるはずがない。

I think I'll start a new life