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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

学校をやめる決断

hans chr. hansen, architect: gasværksvejens skole / school, copenhagen 1969-1971

 9月22日、スケジュール帳にずっと「ギセン修了式」と記してきた日である。第3ステージの生活を始めるにあたって、昼間に何をしているかは課題であった。住宅のリフォームは、自らの事と関連して関心があったから、その関係の普及促進にお役に立てればなどと考えていた。そのために半年は、その関連の職業訓練校でで勉強しながら過ごし、将来を考えようと思っていたのである。今日のその日までは、その学校にいるつもりでスケジュールを合わせ引越してきたのだった。その卒業式の日であった。でも、結果的には修了せずに、5月末で中途退学したので、何ら特別でもない日になった。このブログは「ログ」であるので、そこを総括しておきたい。

 

理由は3つ。その1つには、活躍でき得る年齢が迫ってきていたことがある。その頃に、家の近くのあるマンション管理員の仕事に応募していて、(65歳定年と書いてあるところからも年齢要因もあろうと想像したが)書類選考で落とされショックだった。教育の仕事も需要がなかった。65を過ぎたらもう本当に仕事の機会がないかもしれないという危機意識が現実として芽生え、それまでに・・・と本格的にハローワーク通い、職探しを始めた。そのための活動も、平日でないと、また遅い時間では窓口は閉まる。他を探しても、65歳迄を応募条件としているところもあるが、さらに延長可としているところは65歳前に在籍していた人のことかもしれないと思った。半年程度なら大勢に影響はなさそうだが、もうすぐ64歳、さらに先の定年後の65才過ぎの嘱託までを視野に狙うとすると、それ以前にその職に滑り込まなくては扉を閉ざされる可能性は一段と増すだろうという焦りは強くなっていた。

もう1つある。技能職に就くことは得意ではないので期待はしていないのだが、実践中心の訓練校だ。自ずと小手先の技術の訓練が主体となる。今からこの分野で、一人前のそこそこのレベルまでに達するには一層の修業が必要そうで、時間切れ感がある。工作の仕事をするのにモチベーションがわかなかったこともあるが、若い人ならともかく60越えで職を得るということに関しての状況卒業したとしても変わらないだろうという気も強くなっていた。

学校の担当の先生はどこかで職に就けるように、強く推すと言っていた。今、時を過ぎて振り返ると、もしかしたら、建築関係のリフォームの仕事に就けたかもしれないなと思う。でも、サラリーマン的な組織で働くのはもう嫌だったはずなのを忘れていた。近すぎる人間関係はストレスの元凶になるということにも、仕事につく前に気づいた。学校を含めた週に平日5日勤務のような圧迫された環境は辛いということで、緩いパート仕事を探したがあまりない。どういう働き方を求めているか、サラリーマン的な組織の中でチームとして密に働くのでなく、個人事業主的な仕事をということがわかった。

さらに当時は決定的と思えたこともあった。義母の状態の急速な悪化があり、これでは・・・と思ったのが3つめだ。関連して関心は「一般的な住宅」ではなく、「シニアのため住宅」に移った。当時は週に5日のフルタイムだったから、病院や介護認定なども平日の昼間だから、病院に付き添うとか、お世話をすることはできなかった。全出席を前提に学校の作業はデザインされていたから、これはきつい。週に一度程度、最期をサポートするつもりで転居してきたわけで、この状態では看取れないと思った(でも何が何でも学校を継続するということは、決してできなくはなかった。結果的には振り回されながらも復活している)。

 

昨日は、明日卒業式ですと入学当初の頃の写真を中退の私にメールで送ってくれた当時の仲間の気遣いもあり嬉しかった。ともかく結果的には、学校は2ヶ月弱で辞めた。やり通せなかったことに、少し不全感がある。中途退学をした人たちは同じような気持ちになるだろう。私も昔に大学院を中途退学したことがあったので、当時のような中途半端感も、また小中学校の同じクラスで同じ教室で同じメンバーと授業を受けた時のことも思い起こした。小中学校の当時は特に学校集団の圧迫感を感じてあまり楽しくはなかったし、不登校児の脱力した気持ちも少し理解できるようになった。

何かを捨てたことにより、別の何かを得たはず。今のマンション管理の仕事に出会わなかったかもしれないし、スポーツクラブ本格デビューも遅れたことだろう。ともかく、今日で過去の判断の是非を考えるのはリセット、結果的に先送りせずこれで良かったと思うことにしている。もう若くはないので修了できなかったとしても、今更失うものは何もないと、本能と直感に従ってこれからも生きるのだ(笑)。