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アドラーなスマートシニア活動記

嫌われる勇気と幸せになる勇気を持ちたいエコピープル 福祉住環境コーディネーター Miketoyの85点人生のライフログ

各党は何を目指しているだろう?

アドラー心理学の思想に「共同体感覚」がある。今週から衆議院選挙戦たけなわ、その選挙では「国民の皆さんのために・・」というリップサービスがしばしばされるが、国民と共有する共同体的なものと理解できる。

誰しも、自分の利得のことを考える。自分にとっての意味である。それが行動の背景に潜んでいるだろうということだ。自分自身で気づいているかどうかは別として、行動には目的があるとする「目的論」である。本人も気付いていない隠れた目的のこともある。目的は自らの身の保身かもしれないが、その目的に関しての是非は問わない。

 

ITを含めた技術の進歩のお陰で、私達有権者はものごとをあまり深く考えなくて済むようになってきた。政策を見ずに、雰囲気でものごとを判断したりの支持政党なしの浮動票への影響は大きい。その存在は無視できないほどの大きさになっている。身の程をわきまえずに、本能のなせるまま我儘でも良いのだ、それが個性なのだと理解してしまう人も増えている。それが今日蔓延している、大衆迎合主義のポピュリズムである。目指しているものが不明であると、世の中は漂流するばかりで、未来は明るくない。

 

私は共同体を考える際に「自分の利益最大化でなく、自分達の住む世界(共同体)の利益最大化」の視点が重要だと理解している。対策は難しいことではないはずだ。自分の1つ上のレベルに目を馳せて、今の自分を相対化すること。それは対峙している「顧客」との関係でもあり、一般的には対「あなた」の関係である。消費者である時も、当然の権利だと思わずに、売手も同様に「あなた」なのである。利益を「私」だけの利益でなく「あなた」の利益だけでもない。両者としての「私達」の利益として最大化することを考えるのだ。あまり好きな言葉ではないが、WinWin の関係に近い。私は一時的に損をするかもしれないが、長期的に見ればあるいは全体的に見れば、ここは取り分は少ないが今は耐えようと納得できるようなことである。「利益」とみる見方には限界があるとは思うが、現状ではそう考える人は大多数。そういった「私達」の意識を持てる関係であるかが、共同体感覚と密接に関連するだろう。でも気持ちに余裕がないと、なかなか他者のことまでは考えられないものだ。

政治家にとっては、当選する必要のある自分と有権者の両方の共同体という意識があるかどうか。もっともその共同体の意味が政党によってイメージが異なるのが問題でもあるし、その各党の主張が相手方の批判ばかりでは主張をよく理解できないという現状でもある。

その私達が、家族などの関係よりさらに超えて、地域や、国、全地球、全宇宙の空間的なレベル、そして次世代までという時間的なレベルまで含めた持続可能性に対する視点が持てるようになるとよい。そうなれば、地球温暖化の例のように、自分の支払が安く済むから石炭を燃料に使う、CO2増加、はたまた、自分の年金が減るのが問題だ、財政再建など俺の知ったことかと自己中心的に言いはることは少なくなるのではないだろうか。Balloon ride over Bagan. Amazing!