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アクティブシニアのコンパクトなエコ生活

ゼロウェイストを目指すエコピープルでアドラーな Miketoyの85点人生のライフスタイル

耳をちょん切る?

昨日の記事で耳の柔らかいふんわり食パンのことを書いたが、パンの耳に関して、嫌な思いをしたことがある。私の生まれは今のさいたま市だが、その後に東京の新宿に住んでいた。父親の転勤で小学校3年の途中で名古屋に引っ越した。それまでは楽しかった。名古屋では、それまで無意識に使っていた東京言葉は往々にして理解してもらえなかった。小学生の周囲から、何じゃそれ?てな感じで、通じないこともしばしばあり、寂しい思いをした。野球も巨人などではなく、圧倒的に中日ファンばかりだったのも信じられなかった。バツのことをペケというのにもビックリした。異なった文化で通じない絶望的もどかしさ、言わばカルチャーショックを受けたのだ。子供心に傷ついた。トラウマになったのかも知れない。それからは黙っていた方が身は安全だと考えるようになった。
名古屋は一年足らずで、東京池袋に戻ってきてホッとした。でも、言葉が出てこなくなって、吃るようになった。吃れば笑われる、笑われればもっと吃る用になる悪循環だった。小学校5年の時だったと思う。ここでも、何かの授業の時に、「パンの耳が・・」と言ったら、「えーっ!パンに耳が!?」って感じでクラスメイトが笑った。親がよく使っていたパンの耳という言葉に、「え、何で笑うの!?」と恥ずかしくなった。その傷ついた心に、担任の教師が追い打ちをかけた。「そんなことで笑う奴は、耳をちょんぎってやる!」と言って笑った。どうして?と私は居場所がなかった。そしたら耳なし芳一になるか?とツッコミを入れたいところだが、なぜ笑う?が理解できないまま、ただただ赤面するだけだった。後に『パンの耳』は、決して使われない言葉ではないと知って、少しは安心したのだが、池袋地区では使わなかったのか今でも謎である。
今なら、子の気持ちを理解できない何とデリカシーのない教師だと批判するが、(別に教師を恨んでいるわけではないが)それ以上に子供の私が傷つき、深く劣等感を持つようになり、色々な面で自信がなくなり、自分自身を嫌いになったことを。それに限らず、小学校は楽しい思い出は殆どない暗黒の時代である。親もそうだが、教師も、クラスの仲間も理解してくれない。青春時代にはそんな外界を閉ざし内にこもることは多かった。

同じようなことは、数十年後の大人になっても時として体験した。直近の例だと、十数年前の『何がし』でキョトンとされた経験だ。これに関しては下記のようにブログ記事にしたこともある。これも、年代の多いおじさんが多いが使っているよなあと思うが、真相はよくわからない。そのような言葉が通じない経験を何度かしているので、いつも言葉が「通じない不安」、世間標準と私は違うのかも?感を持っている。もっと最近では、地元の職人さんの言っている讃岐弁が理解できない不安が強かった。今は何とかなっているし、私自身は使いこなせない言葉だが、微笑ましくも思って聞いている。

ともかく、『パンの耳』を見る度に、言葉が通じなかった、そしてあの教師の笑いが頭をかすめ、苦々しい思いをさせられるのだ。

Ear on a boat