新型コロナウイルスに感染したら、どうなるだろう。悪化のスピードは想像以上に早いようだ。岡江久美子さんも亡くなった。いくら感染防止対策をしたとしても市中感染もあり得るし、私を含めた誰しもがいずれ感染するその日が近々来てしまうのではないかと心配にもなる。
入院になったりしたら、私の場合はごっつい人工呼吸機など使わないで良い。どうしても生き続けたいという強い意欲はないこともあるのだが、自然な流れるままの措置で良い。
感染自宅待機指示中に急変で亡くなった方もいる。自宅に居ても病院と同様な関係かもしれないと、このところ思ってきた。私より強く生きたいと願う人は多いと思うので、病院のベッドに限りがあるなら、そういった人に平等に与えられた権利は譲りたいと思うし、その時は今の世の中から離れる覚悟でいる。
でも、どうも今の世の人を避ける風潮は行き過ぎのように思えおかしく思える。人と人の3蜜を避けるというのも、長期的には問題があるのではないか。(比率はいい加減だが)1%の悪のために99%の善の人が迷惑するという構図のように思える。今日の新聞のコラムにも、「距離を置くことは、今の非常時では人への優しさを示す行為である」とあった。優しさ??それは異なる次元の話だろう、感染者を避ける差別的行動につながらないか心配にもなる。
基本的には人と人は近い距離で話をするものではないだろうか。愛の関係は互いに抱き合ったりすることなしにはあり得ないのではないか。
感染を避けたいが、できれば最後に家族と会話のできる少しの時間の余裕は欲しいところだが。どうも今のソーシャルディスタンスを保つ対策(反対しているわけではないのだが)には、人間不信の人間嫌いの「愛」をわかっていない人の思考のような気がすると言ったら言い過ぎだろうか。
だから、早くコロナウイルスのワクチンが開発される解決策を望む。コロナウイルスは空気中に舞っているもの、飛沫をかけられ一時的な症状があっても、仕方ないな、対応する薬で治そうと、ウイルスと共存して人類は生きていくべきものだと思う。それは開発者の仕事なので、外野の一般人はひたすら待つしかないのだけれど、その方がずっと世の中は以前のように明るくなるはず。不要な接触は避けるとしても、そうならないように免疫力を高め、間に合わなあければ、それはそれで覚悟しよう。
