同僚との会話ではゴシップものの会話が受けることはそうなのだが、その会話の中身に自分自身に多少なりとも関与があったらどうなるだろう。
例えば、仕事において大失敗をしたとか、新聞沙汰の感染症にかかってしまったとか、場合によっては軽犯罪でもそうだが、周りにも迷惑をかけてしまった時だ。社内だけでなく、社会全体までもが好奇の眼差しで見てくるとなると、さぞかし辛いだろう。楽しいはずのランチタイムのひと時が、辛いランチタイムになり、社会的制裁を受けているようなものだ。事実誤認があったりもして説明を繰返しても信じてもらえないかもしれないし、クラい会話になることだろう。ご本人の性格にもよるかもしれないけれど、同僚とは会話したくない気分だろうと思う。
今思うのは、(ことの事実関係はさておき) STAP細胞事件での小保方晴子さんだ。例えば姓が同じだけだとしても、同僚からいろいろと勘ぐられ、影では酒の肴のゴシップ話として盛り上がっているかもしれない。第三者はお気楽もので好奇心そのものだが、関与のあるご本人近辺は居たたまれないと思うが、果たしてどうするのだろうか。自分の殻に閉じこもり、ほとぼりの冷めるまで待つ以外の術はあるのだろうか。
そのような時に、心許せる友達が一人でもいれば、まだ生きていける。小保方さんにもそのような友達はいるとは思うが、それが心配だ。
(これとは直接の関係はないのだが、上司に相当する共同研究者の笹井芳樹氏が、なぜコメントもせず頬被りしているのか私には全く理解できない。)
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