にほんブログ村 ライフスタイルブログ 丁寧な暮らしへ にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

"読書ゼロ" : 情報は「読む」のでなく「見る」

一昨日のクローズアップ現代で、「勉学に勤しんでいるはずの大学生でも、40%が1日の読書時間が“ゼロ”という調査結果もある」とのこと。全く不思議に思う数値ではないし、大学によってその差はもっと極端に出るだろうと思う。教師はそういう人たちに何ができるか、(勤めている間だけかも知れないが) 教育現場にいる私は関心がある。


広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ - NHK クローズアップ現代


立花隆氏もゲストで出ていて、読書家のとらえ方はそうだろうと思えた。ただ、時間も限られていたこと、私の理解力不足もあり、氏の主張を十分に理解できなかったが、書を読むのと情報を獲得するのは全く別のことという印象を持った。
情報は人によりいろいろな受け止め方をするので、知の劣化傾向のようなステレオタイプ的な判断には注意が必要とのこと。とはいえ、スマホのような小手先の道具により、思考のワンパターン化する傾向は大人にもある。もう知の獲得作法が習慣化されてしまった立花隆氏の年代の人は良いのだが、問題は成長途上にある人に対する影響だ。専門家でないので良くわからないが、現場にいる一教師の直感としては多分影響有りという感を持つ。
私自身も日経新聞を電子版にしてから、同じニュース情報であるにもかかわらず、情報をじっくり見ることをしなくなったと数日前にも記した。紙は思索に適するが、画面は「見る」だけで、「読む」にはつらい。だから「考える」までに至らないのだ。特定のメディアにばかり触れていると、思考パターンは強くその影響を受けると思う (若い人はそうではないのかも知れないけれど・・)。

また、読書は「知」「情」「意」の全体的なもので、「知」だけに偏るのは問題だとも言っていた。情意は感情を揺さぶられるとかだろう。意は決定のプロセスがわかるというようなことを言っていたように思うが良くわからない。「情」や「意」は個人作業のような気もするが、教育は「知の伝達」以上にどの程度関われるのだろうか、そもそも関わって良いのだろうか疑問もある。
さらに最後に、「書くこと」が考える力をアップするというようことも言っていた。しかしながら、書くということは単に複写すれば良いのではない。前提として、自ら考えた内容を・・ということだろうから、考えること自体ができない解決策足りえないと、どうどう巡りの結論になる。ともかく、「読書」と「スマホでの情報獲得」は全く別のプロセスなようにも思えるが、本当に違うだろうか? その場合に、比べているものが違うのではないか。私は、「紙の本の読書」と「電子書籍による読書」では、同じ内容ならば全く変わらないと思っている。要は書の『中味』、コンテンツの質なのではいう気もするのだが、追及すべき興味深いテーマと思う。