親の遺留品処分ではとても困った。ガラクタ品が家中に作業スペースなく埋まっていて、気が狂いそうになったのも思い出す。多少でも自分が関与していたモノに出くわし、思い出し始めると時が止まってしまう。しがらみのない他人にバッサリと処分してもらった方が、ゴールには早く到達できるのだろうが。
私の所持品は、あの親と比べるとはるかに少ないが、それでもやはりある。
IT関連のガラクタも、私でないと使いこなせないから明快だ。服はたいして持っていないから、これもバッサリと捨てられる。スーツやワイシャツなどもあまり着ないだろうから、一着だけあれば済むだろう。この辺りはさして問題ない。
悩ましいのが書斎にある思い入れのある本だ。家にはあまりないので問題はないものの、勤務先の研究室に山というほどあり、難関だ。リタイアを機に、大々的な処分を考えてはいるが、長い間持ち続けていたものである。引越し作業のようなものだから、断捨離は一日だけでは済まない。方針の明確化がないと毎度迷ってしまうだろう。
今後に別の職場で働くことを想定するなら、そちらで役に立ちそうなものを残そうとする。今まではそうだった。しかし、もう別の職場で働くということはないだろう。ただ何らかの形で教えることに多少でも携わる可能性は皆無ではないので、その時のテキストとして残したい本はある。
それもないとなると、バサバサ捨てられる。いずれにせよ、もう難解な本は読まない。英語の文献も読まない。それだけでも少なくはできる。一つひとつの本を、残りの生涯で、もう一度読み返すことがあるか?を問いながら、処分をしはじめている。そういった方針の明確化があれば、リタイアまでの残り十ヶ月余りで済ませられるだろう。