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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

誰が自己中か?という親子関係がうまくいっていない話

Get the Balance Right

今回も先週に旧宅に行った時の話だ。「miketoy の親を偲ぶ会」という年に一度会う機会の建前は、息子達の前ではやめた。御先祖様に思いを馳せ、世代間をつないでいく場としたい思いもあり呼びかけ続けたものの、もう何年も彼等の参加、その意向もないようなので、今後の呼びかけは諦めた。そちらの私の兄妹とは別に、彼ら子世代同士の絆を確認する会と模様替えをして企画した。彼らもバラバラで、重要なことも曖昧なまま話し合っていないようだから。そこで、私の都合もあるので、春休み期間の土日の適当そうな日を設定して、やや強引かとは思ったがコトを進めた。

娘は家のことが忙しいからと不参加、息子1(36独身)と息子2(34独身)それと私の3人の参加で旧宅で仕出し弁当のランチ会である。前回の企画は下記の2年前である。

さて、息子2は前回訪問時もそうなのだが今回もずっと不機嫌だった。そんなままでは解決されることはなく、不満は再発するよということで、やっと渋々口を開いた。彼は、俺は今回の時間は空いたとは言ったが、それで良いとは言ってはいない、親父は自己中心的で強引にことを進める、自分がいつも正しいと思っている、俺の気持ちは推し測られていないと主張した。そして、相手がどう思っているかを考えて行動することはとても重要なことだと俺は思っていると、私を暗に批判した (ほんとかいな?と思われるかもしれないが、私も息子1も息子2も異なった機関で「コーチング」のトレーニング側の洗礼は受けている)。私は人(暗に貴殿も・・)は誰だって自己中だろうがと一般論として反論したが、全然わかってもらっていない!感があった。

こんな年に一度程度の会というか場においても私が音頭をとらない限り、待っていて発生することはない。生涯ない可能性も濃厚だ。また、旧宅は使用権は譲った(固定資産税のみ息子2支払い)もののまだ私の家、セットアップするのは私だし、空いているのなら文句を言うなという意識があったのは事実。そもそも論として、子達の成長を見たいというのも私という親のエゴではある。

ここで親子での主導権争いをしたところで何の解決にもならない。とりあえず、その争いからは降りて、次回からきちんとお伺いをたてるよと折れたのだが、その私の来る時に俺(息子2)はいないようにすると突っぱねるように返した。確かにもう私の家ではないのだからスポンサーは私と言えども、もう少し丁寧に、謙ってお願いすべきだったのかもしれないと反省した。親の気持ちと親子関係が途絶えることはないことは、思い届かずのすれ違いだろうが伝えておいた(本当に理解されたかどうかは不明だが)。

 

その後に下記の「忖度の構造」の本を読んだ。その本の第2章の「忖度と日本人」に、「距離のある相手ほど礼儀を重んじる」という節があり、こんなことが書かれていた。

「忖度」の構造 空気を読みすぎる部下、責任を取らない上司 (イースト新書)

人間関係を良くするには気持ちを正直に言葉にして伝えるのがよいというのは正しいアドバイスに違いない。自分が感謝すべき立場の時は、そうするように意識するのが良いだろう。相手がこちらの気持ちを汲み取る感受性を持ち合わせていない、つまり鈍い場合、誤解し、気分を害してしまうかもしれないからだ。

だが、逆の立場の時には、相手が必ずしも感謝していないわけではなく、自分たちの間柄を遠慮のいらない近しいものとみなし、その一体感に甘えているようなところがあると解釈する心の構えを持つことも必要なのではないか。


とある。近しいものとみなしているからなのかよく分からないが、今までの彼等の言動からすると私にそう解釈する構えはなかったのは事実である(要するに未だに親に甘える子供だということだろうか)。

私自身は他者の自己中を批判するくらいだから、そうではないと思っているのだが、息子2からの批判からすると、もしかしたら他者から見れば自己中なのかな?と、灯台下暗し、誰が自己中なのかわからなくなってきた。モヤモヤ感は今も未だ残ったまま。親子の間でも人間関係は難しい。