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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

言いそびれる夢

このところ続けて夢をみている。私の夢の場合に登場人物として、母親が出てくる割合は多いような気がする(マザコンなのか?(笑))。父親や子、兄妹は殆ど出てくることはない。また最近の夢を見ることも殆どない。現在を生ききっているということか。夢で出てくるのは、何らかの心残りであった無意識の何かを物語っているのだろうか、それとも全く関係ないのか。アドラー心理学では夢分析はしないのだが、精神分析などでは様々な解釈があるのは面白い。

 

脈絡はないが、最近見た夢を列挙してみる。会社員時代の和気藹々とやっていた30年位前の同僚たちだことのことだ。何のことはない。当時はそんな気持ちだったなと反芻しただけだ。

自動二輪の免許の検定試験だ。実技が心配であったが、何とかなった。高速道路のインターチェンジのような螺旋階段のようなグルグル周る試験がある。傾けたままで転倒せずに、カーブが曲がれた。実際はそんな試験はない。回りきれて、途中段階だが、合格しそうだという雰囲気だった。メデタシメデタシ。

その前日は、何かの滑り込みセーフで入れた。銀行の閉店間際の3時少し前のシャッターが下り動き出しているときに下をくぐって間に合ったという感じだ。場所は銀行でなく、私の住むマンションだ。上からシャッターが降りてきて、ウエイトリフティングをしているモードとなった。緊急ブレーキがかかり、止まったのだが、出られない。自力で上にあげようとするが私の力では無理だ。管理人さんがあたふたしている。命に別状はないのだが、夢でよかった。

dreaming

その前日は別の夢だ。こちらは、希望しない夢。私は話を聞く生徒の立場。教師が次回はこうこうと言い、集合場所はその場所Aが別の場所Bかどうともとれる言い草だった。曖昧だったので、明確にすべく質問しようかなと思ったのだが、しなかった(良くあること)。後で、周りの人に聞いたが、そうだね微妙だね、どっちだろうてな感じだった。私はBだろうというつもりでいた。そのまま放置して、翌週の直前になった。

直前になって、場所は Aかも?という気がしてきた。受講していた人で、車でA方向に行く人がいる。かなり以前に関わりがあった人で人間関係は悪くはないので、頼みさえすれば乗せてもらえる人だ。私は足はないので、車に乗せてもらえれば Aの現場に間に合う。途中まで一緒だったので、頼もうかというところで、何かの邪魔が入った。言えずじまいで、頼まず別れてしまい、彼は駐車場に消えた。邪魔にケリがついたあとで、彼を追いかけたが、見当たらない。出口はこちらなので、ここで待っていれば出くわすはず、だったがしばらく待っても出逢わなかった。あれ、いないなと、パーキングスペースを探したのだが、いない。どこか別の出口があったのかもしれない。結果的に、これではAに行くには間に合わない。それで夢は終わり。いつもこのように、しなかったことを後悔することが多いのだ。その後は、情けない自分が悔しくて眠れない。

この種の言いそびれ後悔したというような話はしばしばで、コミュニケーションをそのままにしたり、はっきりと頼まなかったりして、出会えなかったという私のミスに起因する。私は現実社会では一度下した決断を振り返ることはないし、ずっと後悔をする質ではないのだが、この手の悔しい思いをする「夢」はしばしば見るのだ。

 

もう一つ、寝るときに見る夢ではないが、こうだったら良いのになと思うことはある。それも夢といえば夢である。教えている夢だ。私は数年前まで大学教師をしていた。専任教員にはなりたくはないが、非常勤講師として、週に一コマくらいは教えていた。これは、ああそうか!と思った。今は、時間的な余裕はある。自分の世界観のことだ。専門科目ではない。一般教養の情報科学とか、その類だ。以前にも教えていたことはある。理解してもらえなかった。今度はどうだろう。語る内容のフレームワークはさほど変わってはいない。相手が変われば、状況も変わるかも?の程度だ。それを夢見ていたのだ。やはり自分の世界を若い人達に教えたいのかもしれない。そんな機会は、なくても構わないのだが、もし可能ならば手応えを感じたいという、儚い希望的な夢である。でもこの歳になると、夢というには恥ずかしい。叶わなくても、無念ということもない。

実はもう一つ、次元の異なる夢と言えば夢がある。言いそびれて後悔することのないように、次の機会の記事で触れることにしよう。