クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

「おはようございます」と「おめでとうございます」は違う

「おはようございます」と「おめでとうございます」と挨拶するのでは違う。当たり前だ(笑)。意図するのは心のことだ。私はマンション管理人をしているので、朝に入居者と出くわす。顔見知りでの今の時期の年初の初顔合わせだと、「明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします」の類の挨拶はするのは自然だ。私も初出勤では手当たり次第に「〇〇さん、明けましておめでとうございます」と挨拶しようとの志プロジェクトを持った。相手毎に一度その挨拶をしたかどうか程度は覚えているから、2回目からは「こんにちわ、またお会いしましたね」となる。

しかし、タイミングを逸すると「おはようございます」だけになってしまう。先方が急ぎ足で出かける時に、向こうから先に「おはようございます」となると、こちらも名前も呼ばずに「おはようございます」だけになってしまう。こうなると当初持った志プロジェクトは失敗で、正月以外のいつもの時と同じで、少し寂しい。どのように環境や月日が変化したとしても相手からも決められた役割だけ遂行することだけ期待されている、いわば利益や機能を第一に考えるゲゼルシャフトなのだろうなと。

一方で、全人的なその人がいて、その人も入居者の自分達とは異なったところで年を越し、今日を迎えて仕事をしてくれているという(地縁や血縁、友情で深く結びついた)ゲマインシャフト感も少しだが味わった。いつもダッシュで足早にお勤め出かけるする方が、私の気配を感じたのか、わざわざ戻ってきて新年の挨拶をしてくれ、いつものようにまた走り去った方がいた。その数秒だけのことだが、ありがたかった。また、別の某大手の幹部の方だが、その方も腰が低くて、わざわざ待っていて頂いて新年のご挨拶を頂いた。

私自身も自分の住むマンションの管理人さんにもそうしているが、そのような相手の存在を認めてくれる人がいることは、会話はそれ以上なくても嬉しいし、同じマンションに関わる共同体員としてその手のゲマインシャフト風の関係が充満すると良いなと思う。

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