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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

知らんぷりの気まずさから脱却

見ず知らずの人への挨拶は普通はしないだろう。何らかの自分との関わりが意識されている場合はするだろう。仕事の場では、お客さんとサービス提供者となると挨拶はすることは多い。関係が互いに理解されているから、それは重要なことである。

Woody says Helloでは、見ず知らずの人だとどうか。通常は無視するだろう。けれど、しばしば見かける人の場合はどうか。先方は気づいていないかもしれないし、見かける以外の接点はないから、これまた挨拶はしないだろう。仕事の時は制服を着ているから、関連する会社の人は挨拶してくれる。

私の場合の具体的な事例。50代と思われるサラリーマン風のおじさんと毎朝の通勤時に通りで、あるいは40代と思われるおばさんと毎昼の帰宅通勤経路で信号待ち付近で出くわす。挨拶は当然せず、いつも知らんぷりをしている。先方もそうだが、こちらもだ。不特定多数の他人のカテゴリーだから、挨拶はしない。名前もどこに勤めているのか、この付近で働いていそうだと知る以外は、しばしば見かける人以上の何者でもない。お互い、近くに来ると互いにわざとソッポを向く(笑)。一度そうなると、ますますエスカレートする。不安定で居心地が悪く、今後もずっとそうかなあと気まずいなあと思っていた。

昨日読み終えた下記の本にも似たことが書いてあったので引用する。

60歳からを楽しむ生き方 フランス人は「老い」を愛する

日本人は広大な砂漠のど真ん中の一本道ですれ違っても、話しかけられないように顔を背けて去っていく

著者の友人で自虐的なジョークだが真実の一端を表しているのではないかと。もし典型的な日本人のメンタリティだとすると、まず先方から何らかの挨拶は来ないだろう。実は私も先日、ジムで声をかけ絡まれた経験があるから、いつも以上に声かけに勇気が必要になる。でも勇気を出して声をかけた。「いつもお会いするので、これから声をかけますね」と。声の反応はなかったが、頷いたように思えた。その次から私から挨拶すると、先方も会釈をするようになった。お二人ともである。名前も知らないのは同じ、それ以上会話をするわけでもない。でも、相手を認識しているよという、得体の知らない人ではないとの合図があると気持ち良くその道を通ることができる。何かコトがあった時でも、それだけで協力できそうな気がするのだ。数回していると、向こうが先に気づき会釈してくれるようにもなった。気まずさが解消しただけでなく、何となく嬉しい。