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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

部分だけ見て相手の人格否定

人は部分だけを見て、全体を判断しがちだ。私も例外ではない。アドラー心理学の「嫌われる勇気」の本に次のような一節がある。

 

対人関係がうまくいかないのは 、・・・のせいでもありません 。ほんとうは自己受容や他者信頼 、または他者貢献ができていないことが問題なのに 、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて 、そこから世界全体を評価しようとしている 。それは人生の調和を欠いた 、誤ったライフスタイルなのです 。

 

誤ったライフスタイルと言われると確かにそうなのだが、そうなる2つの要因というか宿命があるのではないか。個人との対人関係に限らず、このところの制裁と報復の多い国際問題での主張の食い違いを見ていると、いつもそう感じる。

第1は、適切な情報が入手でき難いことが多いことによる。情報の非対称性と言われることもあるが、受け手の一般人の持つ情報は少ない。事実だけを扱っているはずのマスコミの情報が唯一の情報源の場合も多い。そこでは新聞社や放送局などの政府への忖度やバイアスのかかったメディアの意図も紛れ込んでいる可能性もある。その状況から脱しようとネットで検索すると、多くの情報はあるものの、断片的情報で不正確であったりする多くの見解のうちの一つである。その情報発信している個人もまたバイアスのかかった情報をもとにしていることだろう。利用者の得ている情報は極めて限られた情報、それをもとに人々と交流をし、色々と判断を下さざるを得ないので、時として間違うこともあるだろう。

第2には立場の違いがある。以前に、ある方がブログで公教育というか教師批判を強烈になさって人格まで否定しているように見受けられた。私も以前に同様に教師批判をしていたことがある。その後に教職についてみると、現場の第一線にいる教師は一生懸命にやっていることが圧倒的多数であることがわかり、彼等を擁護したくもなった。咎められるとすれば、第一線で頑張っている人よりも管理責任者あるいは文科省であろう。

外野と内部では、互いに見ている視点が異なるせいもあろう。教師もある側面ではサラリーマン的面があり、自分の管轄範囲の生徒のことなら現場の責任者でもあるから身体を張ってでもすることは(心ある教師ならば)多いだろう。でも、その現場と離れたところは上司や教育委員会などの方針などの流れに任せたりする。学校長と顧客である生徒の父兄からの間に入らざるを得ず、板挟みにあい、現場は大変なのは何処も同じ。文科省と現場でのトラブルは、ほとんどその類ではないだろうか。一担当者を責めても拉致があかないし、校長を吊し上げても公教育なら無理だろう。私は既にリタイアした身で、双方の立場はわかるのだが、もう少し互いに相手に寛容になってあげたいと思う。

その2つの課題に陥らならないようにするためには、バランスのとれた教育が必要だ。国際問題の解決はしかるべくプロフェッショナルに対処してもらうとして、身近な問題に関しては私自身も偏っていたり断片的な情報を鵜呑みにせず、重要な判断を下す時には可能な限り覚醒していたいと思う。

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