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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

シニア介護の苦悩とアドラー

妻は私の親の末期への関与は何もしていない。私達兄妹だけで看取った。一方で、私は世話になっていない父親(既に他界)をそして認知症気味の母親を陰ながら、そして今は結構、前面に立って支援しているつもり。嫁が夫の親を介護し看取りまでの世話をするというのは伝統的には良く聞く話だったから、私の場合はそんな夫婦の逆の立場だ。ちなみに言っておくと、専業主夫ではないし経済的にも家計管理も私がきちんとおさえている。こう言うと、完璧な夫のように思えてくる(笑)が、それが言いたいことではない。自分の親の最期を見守るのは、直系の子の育ててもらった恩返し、務めだと私は思っている。

その義母支援の問題は昨秋から私の重要な課題の1つになってきている(自分の親に十分にできなかった自覚もあるから、この地にいる限りサポートをするつもりでいる)。自分が義母の施設に入る可能性だって十分に残っていることもあるが、その活動を通して自分の近未来の老い先を見ている。一方で、将来の私の親子関係を妻の親娘関係から見ているようでもあり悲しくもある。

さて、(私は視聴していないので孫引きだが)NHK認知症になった認知症専門医の興味深い記事をシニアブログではひだまりさんデコさんをはじめ何人もの人が書いているのを目にした。

上記ひだまりさんの記事の中にある専門医の長谷川さんの言葉の引用が下記だ。

私は 母に『自分の時間をあげる』のではなくて、自分の時間に母を合わすような対応をしていた・・

昨年7月から義母は老人ホームに入った。妻の母親に対する態度は、この「自分の(趣味の)時間に母を合わすような対応」そのもの。嫌いな母親に嫌々している行為だから感謝されないで、文句ばかり言う母が強いストレスだといつも母親批判の愚痴ばかり(この手の娘からの母親批判はシニアブログ記事でもしばしば目にする)。

そんな後ろ向きな批判は私は聞きたくもない。問題解決力は私の得意とするところだから俺がアドラー流でやってみるから任せろと昨年10月から介入しだした。とは言え、日常支援は介護施設にお任せで、私達は全くしていない。現時点で課題は解決されつつあるが、私が代わりにストレスを抱えたわけでもない。今までの妻の関わりは、問題のないところから問題を引っ張り出していたように思える。私もこのところ自信がついてきた。

考えてみれば、先の引用記事で自分の時間を「あげる」というのも上から目線だ。同じ時間を共有させて頂くと対等な横の関係で言いたい。アドラー流と言ってもそのような “構え” が重要で、「アドラー心理学の知識」だけでは不十分。既にその“構え” を持っている人には、アドラー心理学の知識は不要だろうが、結果的にアドラーになっていて同じ関係と思う。と言う訳で、他の人もアドラー流の対処は試してみるに値すると思う。でも摘み食いだけではダメで、アドラーを本当に良く理解していないと、きっとうまく機能しない。

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最終的にはサポートする各自の覚悟の程度、深くコミットしてお金、時間など自分の持つ諸資源を持ち出し覚悟で臨むかどうか。それ以前に重要な自分が深く関与するかという構え、決意があるかどうか。

一方で、人と人の関わりという意味で、不特定多数の何の関わりもない人にまでそうするか。私も解けていない問題なのだが、自分は相手にするのはよしとして、逆の立場で誰か私にしてくれるだろうか?青春時代以降に、この種の個人と社会に関する突っ込んだ哲学的議論をしたことがない。世の人々はこういうときに、どう対処しているのだろう。酒でも交わしながら読者の意見も聞いてみたいなと思う。