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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

ダルイと断られる

グチであるが、前回記事で述べた同じようなことは妻だけでなく、無償で家を貸している息子にもある。私が旧家に住んでいた時はホスト役として、(最寄駅から歩いても15分程度だが)来客のある時には基本的にいつも車で駅まで送迎をしていた。今は使用権を委ねているから、春秋のお彼岸時の年2回の帰省時は彼がホストで私がゲストになる。通常はその程度なら駅から歩くので全く問題ないのだが、家から墓までは方向が逆で歩いて行くには40分くらいかかるから息子2(36)に墓参り送迎をしてくれないかと車出しを頼んだ。回答は・・

「ダルイ」だった。ホストとして墓守を頼んだはずなのに、それはないだろうと心は穏やかでなかった。何も言わずにこちらの想いを推し量ってくれという甘えとは違う。私は自ら進んで行ってくれることを期待したし、その旨ははっきりと伝えている。前回の彼岸時に同席していた息子1(38)は、「行って欲しければ息子2に行ってくれと、お願いすれば良いのではないか」と言った。私は「行こうという気がないなら、行かなくても良い、気持ちの問題だ」と言った。そうしたら、息子2の回答は・・

「じゃー、車出しは無しっと言うことで!」で勝ち誇ったように言って終わった。依頼されても、相手には Noという権利はあるので、それ以上のお願いはできないと思い私はいつもそこで諦める。帰省はしたものの墓参りは結果的になしで未練がないと言えば嘘になるが、それ以上に少しの労力を惜しむ思いやりのない態度にがっかりである。恐らく、その態度の裏には私への何らかの反発、過去の確執が存在しているのだろう。それは妻の親娘、きょうだい関係に限らず同じと思う。

私の周囲で良くある諦めのパターンなのだが迷いがある。この本能に従った快楽主義の許容する行き着く先はどうなるか。各自が互いに依存し合わずに、互いに関わらずに自分のことだけをして、身内とて互いに遠慮し合い、期待し合わないで別々に各自で勝手気儘に暮らすことに至るのではないかという気もしてしまう。この種のことは私の周りだけに留まらずあちこちに見受けられるので、(私の基準では)各自の責任を全うしないと文化の衰退を助長していくのでは?果たしてこのままで良いのかを憂うのである。

Just a father and a son chilling on a couch in the desert