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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

義母のお世話は「仕事」、では妻へは?

今日も義母の老人ホームへ訪問に行く。なぜ私は義母の幸福度を高めるためのお世話をしているのだろう。自分自身でも、(義母からして)娘でもしていないコトを何故そこまでして?と疑問に思うところはあるので、この際にあらためて整理してみたい。アドラー心理学的には、人の関わりは愛、交友、仕事の3種類のカテゴリーに分けられるはずだが、それに即した私視点である。

義母への「愛」はない。血は繋がっていないし、世話になった覚えもないので「情」も少ない。そもそも、私のプロファイルを聞かれたこともないくらいで手を差し伸べている私に対して無関心で、何も知らないだろう。私は相手が可哀想で不憫だとは思う程度で、片想いでもない人を愛することはあり得ない。

「交友」か?そんなはずもない。義母はネガティブ。私が最も友達にしたくないタイプの人はその種の人。なので、今のお世話の関係が引越しなどで途絶えたとして、友達になりたくないのは勿論、会話もしたくない。私の身体に不具合ができて、もし同じ介護施設に入るとしたら、同じ階にいたくない。会って世間話もしたくないタイプの人だ。

愛でも友情に基づいたものでないとなると、消去法的に考えるならば「仕事(ビジネス)」だろうか。私は仕事はやるからには、きちんとしたい性格だ。とは言え、報酬やお礼は受け取っていない。だから近いのはボランティアであろうか。

なぜそんな薄い関係の人への仕事をあえてするのか?他人なら、することはないだろう。それはやはり妻の母親だからだ。妻は母親と接するストレスでとても疲弊している。私は代打で今は肩代わりしているわけだが、それは妻のため、妻を幸せにするためである(そのため、二次的な意味で義母の幸せを考えているというわけだ)。

 

その妻に対してアナーキーであることは不満であるが、今は一方的に私のサービス過多な気がしている。私が与える人、逆に与えられている部分はとても少なく、不平等と思う。

でも、それは今の瞬間を切り取っただけの話だし、平等性とは次元の違う話なのだろう。今後にどう転換するかわからないし、このままで終わるかもしれない。また、これまでの累積期間もある。妻は私が人生を再出発しようという時から今日まで、共に日常を共に歩んでくれようとした人。その一例を挙げるとしたら、非日常の「旅」。これも妻と以外に共にするのは考えられない。もし1人残されたら、数少ない趣味の旅行に1人では行かなくなるのは必至である。それ一つとっても、お金に変えられない貴重なもの。だから、妻が幸せになるためには私は貢献したい。妻の利益、幸せが私の幸せでもある。日常的には仕事の側面は多いし、交友の側面もある。ただの情だけでもない、もっと深い何かが潜んでいそう。うまく表現しきれないが、その何かが妻に代わっての私が義母のケアする理由であろうか。

私はまだアドラーを十分に理解しているか自信がないのだが、ひょっとしたら私の妻に対する想い、これは仕事や交友のタスクと異なる運命共同体的な "神聖な" と言っても良い「愛」のタスクなのではないだろうかと思いはじめている。

Empathy Quotes feeling with the heart of another