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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

友達が欲しい

芷筠囍事06

私は友達が少ない。考えてみれば、ちょっとした愚痴をこぼしたい時に、飲みに誘ったりの気軽な友達がいないのだ。だから、友達0と言っても良いかもしれない。他者のブログなどを見ていると、気心の知れた仲良しのお友達と会話・・というような記事も見かけ、実態も友人同士のように見受けられる。

あまり友達という言葉を安売りをしたくないのだが、その人といると自分が自由に振る舞える心の通い合う関係を「交友」とするならば、人々はそれに値する友達は果たして多く持っているのだろうか。

親子の関係でも友達のようになれれば最高だ。友達同士のような仲良し親子関係もブログ村のシニア日記などでしばしば見かけるから、極端に珍しい事例でもないのかもしれず、羨ましくも思える。親子ではないとしても、私もそんな親しく話せる友人が欲しいものである。

 

さて、岸見一郎さんの「嫌われる勇気」シリーズの一つ。数日前に読んだ「人生を変える勇気」のサンプルに、次のような一節があった。

人生を変える勇気 - 踏み出せない時のアドラー心理学 (中公新書ラクレ)

本心を話せる人は一人いればいいので、誰にでも本心を話す必要などまったくありません。誰にでも本心を話すというようなことは本来できないのです。

 

考え直してみれば、私には友達は0ではなかった。唯一いるのだった。多くの部分で本心を話せる人という意味を友達とすれば、妻はそうだ。それが救いである。

仕事の部分に関しては親しい同僚はそれに相当するかもしれない。その同僚に、家庭内事情までを交流する必要は必ずしもないだろうから、やはり仕事の関係は限定的と言わざるを得ない。

ただ一人であるその妻との間でも、当然節度をわきまえるし、何も考えずに何でも言い放つわけではない。では、その妻とのトラブルが発生したら誰にいうか?

友人ということもあるだろうが、親友のレベルでない限りあまり期待できない。では、その一見、レベルの高そうな親友とのトラブルがあったら?

妻に戻るかもしれないし、通常の人間関係はそれほど濃くはないかもしれない きょうだいは候補の一人になるかもしれない。

子が親に相談ということは考え難いし、親は他界しているかもしれない。親から子へは一方的な片想いで、実際はかなり低いレベルに位置するかも?と思う。

その適当な友達に相当する人が存在しないと行き詰まり、自分1人で抱えこむことに至るのだろう。この部分なら親友へ、こちらに関しては配偶者、場合によってはきょうだい、ブログの不特定他者というように、場合分けでその特定の文脈に限り「本心を言って壊れない関係」ということで循環する混みいった構造になっていそうである。