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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

ソーシャルディスタンスという宗教

新型コロナウィルス防止で遊具はこのところ閉鎖や使用禁止で悪者にされる。遊具で遊んだ子どもの間で感染が広がった例は明らかになっておらず、過剰反応だったのではという声も一部から出ている。手摺りも同様に、神経質になって皆さん触らないような傾向は顕著になっている。これらが新たなライフスタイルに沿って撤去されるかもしれないとなると、ウィルス感染を恐れて転倒防止のための手摺りに掴まらず、大怪我したなどとなると本末転倒である。

以前より潔癖症の人は少なからずいたが、潔癖症奨励のムードである。私などはそれらを使う時は使い、その後にすぐに手洗いを入念にすれば良いのでは?と思うのだが、違うのだろうか(私は仕事においてはそうしているし、ジムでも途中でこまめにでなく、最後に風呂に入った時に洗い流すというように)。さもないと、しょっちゅう手洗いをしていなければならなくなり、仕事にならない。あるいは、時間が経つと、身体に染み込んでしまうような類のウィルスなのだろうか。

もちろん、今までにないタイプの感染症だから危険を十分に踏まえてということは承知しているし、マスク着用はもちろんソーシャルディスタンスも守っている。でも、別の次元にいる人まで、それを恐れて人の触ったモノを避けたり、他者自体との接触を避けるというのは、リスク回避に対して弊害が大き過ぎると思う。なるようになる。それが自然の摂理であろう。

人の距離をおくということを何も考えずに受け容れ、それが徐々に新しいライフスタイルとして定着するのならば宗教のように思える。

感染症対策ということで、新型コロナウィルス特有の措置法ではなく、一般的な疫学の知見での万全な対策法なのだと思う。しかし、極端に言えば何も発生していない宇宙の果てでも、地球の新型コロナウィルス対策のために、頻繁な手洗いやソーシャルディスタンスをとっているように思えて滑稽な過剰反応過ぎる気もする。

 

ともかく、今の状態が新たなライフスタイルだというのなら、人類の持続可能性が危ぶまれるのではないか。人と人が避けあって、恋愛感情が生まれるか、そして子が誕生するか、健全な子育てができるか、仕事はできるのだと思うが、育ててもらった親への恩を返すことができるのだろうか。

ギュッと抱きしめて人は愛を育める出発点にたつという、私の主張もある意味では宗教なのだろう。そうしてやっと辿り着いた現在を否定されるようで、懸命に抵抗しているだけなのかもしれないが。いずれ若い人達の世代がやってくるから、決定権は彼等に委ねるとしても、どうも納得できないのである。

Religion