クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

ツツジの終わった季節と「民度」

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ツツジのきれいな期間は今では終わっている。ツツジに限らないが、桜でも花水木でも、花の命は短い。

道路脇に植えられたツツジは花の咲いた後に手入れはされないことは多い。水遣りも天任せであるから、盛りは一週間くらいだろうか。その後に花は濡れて腐った状態、あるいは枯れ果てたままの姿は興醒め。そんな見苦しい状態のまま、朽ちていく風景は、マンションや銀行などの植栽でしばしば見かける。

 

さて、日本で新型コロナウイルス感染症による死者が欧米主要国に比べて少ないのは、「民度のレベルが違う」からと麻生太郎財務相が6月4日の参院財政金融委員会で、独自の説を展開したというが、人々の生活や文化の程度を示す「民度」という言葉を安易に使った点を問題視されている。

その民度とは、Wikiによれば、特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる曖昧に使われる言葉だ。

“成功している人” が “失敗した人” に対して、お前は民度が低いからそうなったのだと、言われた相手は人格否定されたような感じがするだろう。日本人としての自尊心はくすぐられる話だが、勝者の奢りの臭いもする結果論である。

 

私の職場のツツジは、毎朝花殻摘みをしているからもう少し長持ちしそうだが、それでも基本、水遣りだけなので少し延命するだけである。私が全面的に暇になったら、よく通る道でそのような状態の公共のツツジなどがあれば、ボランティア活動として、植栽の維持管理をしてもよいと思っている。だって良く管理された状態の道を通る方が誰にとっても遥かに気持ち良いのではないか。

でも、それは私の通る道に限る。通るということは、それだけで受益者である。基本はその受益者同士で誰かが実施する筋のものであろう。直接あるいは間接的にも関係のない誰かが、してくれると期待するのは甘い考えだ。そういった自分以外の周辺にまで考えが及ぶかといったところにも「民度」はあらわれるのではないか。民度の高い人達とその互いに共有空間である共同体意識を共有していければ良いなと思うのだが、果たして日本がそういった意味で民度が高いのかどうかはわからない。