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クリーンでグリーンな主夫生活

エコピープルでアドラーな Miketoyの75点人生のライフログ

なぜカウンセリングを?

カウンセリングをこの8月から受けている。何がモヤモヤしているのか?、カウンセリングを進めなかったのは何ゆえだったか?が今日の記事である。

リタイアした今は、今さら新たに達成したいことなどない。流れるままに、あえていうなら、日々を安らかに、丁寧に、楽しくである。日々楽しくが十分にできているだろうか不明だが、ありたい理想のイメージや達成志向は全くないのでコーチングとは異なるなと思っていたが、それとて必須ではないような気もする。解決したい具体的な課題があるわけではないし、私からカウンセラーに積極的に話したいことがあるわけでもない(それはこのブログの存在だけで十分だ)。

全く自分には問題はないと思っていた。てか、潜在的にモヤモヤと思っている課題はあるのだが、それは他者が容易に介入できる話ではないと思っていたし、所詮は無理な話だろうと判断していた。そんな状況下でなぜカウンセリングに突入したのだろう。

Cousin Trio

うまく機能していない(と思われる)親子関係の関係性については薄々は認識はしているのだが、所詮はそんなものだろうと見切っていた。カウンセラーとカウンセリングを開始するかどうかの事前の会話をする機会の3月の時に、直接の親子や夫婦などの関係はともかく、クライアント(私)の自己理解に関しては援助できるかもしれないということだった。

私はそれで良しとし会話を進める中で、(このブログの中でも時にボヤいているのだが)モヤモヤを引き出してもらい、その解決の糸口を見出るかもしれないと予感したので、カウンセリングを進めることにしたのだ。

私にとっては、私の人生総合評価減点分の10点はとても切実で、生活の質を上げるには、この問題に避けずに真正面に取り組む必要がある・・と心意気に変わったのが、カウンセリングを受けようとしたきっかけである。

 

以前はそういう類のことは、お金を使わず、友人に無料で相談すれば良いと思っていた。また、そういう分野にお金を注ぎ込んでしまうと・・後々が不安という老後へ向けた経済的不安もあった。意義は認めていたけれど、お金は払いたくないという立場だった。今は経済的不安はほぼないと言えるので、その分野にお金を使える。お金を余らせても仕方ないと、お金の制約から解放され、自由に振る舞えるようになったのだ。

友人であったとしても相手がプロフェッショナルな職にあれば、だからこそ対価を払う。今までは友人(それすらいないが)なら無料でやってくれて然り、だから“ビジネスの関係” でなく“友達の関係” なのだと理解していた。しかし、それでは表面的な慰めや一般的な人生相談でしかないだろうから、一歩踏み込んだところまでは期待できないかもしれない。友人が、持続可能性をもたらすために、運命共同体になることはないし、“友達だから無料” は誤った考えかも?と気づいた。際限なくプライベートの世界にまで踏み込まれるのは、親友とて問題であるだろう。するとしても、それは家族の限定的なところに限られる。

やはり筋としては、それらは区別をつけるべきものかなと今では思っている。だから50分で1万円のカウンセリングセッションは、今となっては妥当な金額にも思える。