クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

自分のことを理解してもらおうとするのは傲慢か

今月は2回のカウンセリングを受けた。通算で7回目である。終わったあとに、言われたことを忘れないように反芻している。

気づかされたことの一つは、私の持つ近しい対人関係で起こる不満がきちんと捉えられて、完了されていないのではないだろうかということ。だから、同じようなことは同じような状況で再度起こり得るというわけだ。私自身も他者には同じようなことを言うのだが、自分自身では見えないこともある。

各自の持つ枠組みというか、人間関係に直面した時にとる態度の(各自の自分自身では気づきにくい)癖なのだろう。言いたいことは言う人間なので伝えているつもりだが、それがきちんと伝わっていないようだ。何に私はこだわっているのだろうか、それを紐解いて気づこうとするのが今のカウンセリングである。

 

自分のことを理解してもらおうとするのは傲慢だろうか。もちろん自分のことだけ・・わかって!というナルシストではないつもりだ。私が妻への最大の理解者であることは確認したが、一方で不満は妻が私のことを全然わかってくれていない感を持つことがしばしばあること。子達は離れているのでわからないが、同様に心はそのつもりでいる。運命共同体的な愛の関係なのでギブアンドテイクの関係ではない。ギブアンドギブでOK、まず自分から始めよがアドラーの教えでもある。その言葉を頼りに、私も見返りは期待せずに精進してきたつもり。

 

そもそも、相互の理解や思いやる気持ちを求めていない夫婦関係も多いのかもしれない。飯だけ用意してくれればとか、お金さえ運んでくれれば良いと諦めている人も多いかもしれない。私はきちんと互いが理解し合うことが重要だと考えるが、そんなことをマジメに取り組む人なんていないよと嘲笑されるかもしれない。私も世の中の夫婦はどこもそんなものだろうと、思考停止して諦めていた。そこに虚しいなあという絶望感に似た思いがある。女優の竹内結子さんが原因不明で自殺したという事件はまだ記憶に新しい。傍目には、順風満帆のように見えても、やはり人の心のうちはなかなかわからないものだ。もし身近なところに理解してくれる人がいれば、そちらに急速に靡いていってしまいそうで、危ない予兆である(笑)。

失楽園