クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

インディペンデントな関係

Forever...

アメリカなどの家族関係で老親が子世代から心配だからと同居を求められても、親はインディペンデントでありたいと拒んだという話をよく見聞きする。シニアになってもできるだけ一人で自立して暮らすのが尊いと、そんなふうに思うのかなとよく理解できないでいた。今では親のそんな気持ちもわからなくないし、でも不安はあるねという両面がある。

 

私達夫婦は互いに「価値観」が大きく違うわけではない。何から何まで一致する場合は少ないだろう。その点はかなり一致しているのではないか。ものごとの受け止め方、「感じ方」これも似ている。ギョッとするようなことは、ほぼ確実に妻もギョッとしている。これらは一緒に暮らす上では重要なことの1つと考えている。

もう一つの側面として問題解決や改善活動に向かった「態度」もある。態度での重要な1つには、“コミュニケーションスタイル” もあり、こちらは課題である。私の場合はシニアになって強く思うようになったのだが、“日々を丁寧に暮らすこと” はとても大切に思えてきている。価値観と言えなくもないが、ものごとにどう接するかという態度は少し異なると思う。1つひとつの行為(doing)でなく、そうしようというココロ(being)、それが態度なのだけれどなといつも思うのである。

 

一緒に生活するとなると、そのうちに些細なことで衝突することがある。家族の関係で円滑に行くためによく指摘されるポイントは相手の領分への不可侵のようだ。とはいえ家庭に関しての共同空間部分は必ず存在するから、その部分に関してあまり建設的ではないとしたら問題になり得る。一方的に片方だけに多くの負担を強いられているのは平等性に欠けるし、別々に1人で暮らした方が良いのでは?と思うことすらある。共通部分が存在する時にミニマリスト志向で潔癖症気味になってくると、そうでない人との距離はどんどんと離れていってしまう気もしていて考えものだとも思うようになっている。

「自立」を尊ぶインディペンデントな世界と、そうでないある意味では「甘え」の許容された相互運命共同体的なディペンデントな世界の違いなのだろうか。