クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

他人と思えば怒らなくなる

Strangers

ずっと運命共同体として暮らすというのは大変なことだ。同じ屋根の下に暮らす時は多くの場合にそうなり得ると思うが、その時に互いのコミュニケーションのパターンだけでなく、日常の細かいこと、次元が低いかもしれない例えばモノの管理やゴミの出し方、しまい方など、生活レベルでの行動の細かな相違が気に障ったりする場合がある。

一緒に生活するとなると、自分の方も相手にも勘違いもあり得るし、気に食わないというか、(自分では決してそうはしないであろう)好みでないことにも遭遇するかもしれない。それはお互い様で、一旦歯車が噛み合わなくなると、それが際立ってしまうし、長くそれなりに生きてきた身としては修復や調整の努力もある意味では自分自身へのストレスになり、勘弁してよと言いたくもなるかもだ。読んではいないのだが「我慢して生きるほど人生は長くない」という本が5万部突破の反響のようだ。

生活レベルでの細かなことに いちいち目くじらをたてるほどのことはないのだが、自分の人生をどうしたいとの こだわりがあると*1なかなかそうもいきにくい。それでも運命を共にしないといけない怒りというか哀しみというか。

夫婦のような親しいのが望まれる間柄だからこそ相手に期待し、そうでなければ自分のことのように強く主張したり思いを馳せたりする。紳士になりきれていない私は少なくとも (長期的にも)相手の理にも得にもならない言動に批判的になり 熱くなってしまう傾向がある。

それほどまでに、私が強いこだわりを持っているつもりはないのだが、関係の薄い人になるとなれば、またカウントダウン状態となれば そんな怒りは収められる。他人に対してむやみやたらに怒る人は少ないだろうから。もしその状態が永遠に続くとなると できないかもしれないが、期間限定ならば我慢もできると諦められる。実際、この3ヶ月以上、怒りは ほぼゼロである。

 

どうでも良い部分に関しては、自分1人モードになった時に自分の好みにすれば良いと思っている。そうなれば、中途半端な妥協はなくなり、より統一的な生き方にはなることだろう。

カウントダウンまでの辛抱だ・・となると、もう掘り下げて相手を理解しようとは思わない。違和感はあっても、「あっそう、そう思うのね」でおしまい、そのままである。逆説的に言うならば、今までは(他人ではないので)諦めていなかったということだろうか。それは子に対しても言えること。

しかし、他者に怒るまでのエネルギーを注がなくなるというのは、裏を返せば 無関心になった証でもあり、やや淋しくも思うが、それが悟りに通じる道なのかもしれない。

ともかく一旦 距離を置く。そうすればストレスは解消するはず。一方で今まで当然としてあった日々の存在自体がなくなるわけで 手放さざるを得ないことも少なくはないはずだ。とりあえず距離をおいて それに気づき見直す可能性を残しておくのがこれから数ヶ月。今後どう展開するかは わからない。

*1:私の場合はクリーンでグリーンであること