別居する数日前に話たことだが、私のリタイア後に(現在は介護施設にいる)義母と関わりが深くならざるを得なくなり、それがきっかけだったのではないかと話した。ただそれは あくまで、きっかけとしてである。他に見えていなかった本質的な要因も その後に露わになり、そのような事態に至ったのだろうと合意した。
それがなければ、相方の聖域に入り込むこともなく、今でも そして多分 死ぬまで穏やかに暮らしていたことだろう。
繰り返すが、親が直接的な問題だったというわけではない。目に見え難い本質を見ずに人生を全うできたのかもしれないというだけのことだ。その方が幸せだったのかもしれないと 振り返っては思う。
人生何が起こるか、後半になっても まだどのような劇場が待っているかわからない。それは面白いといえばそうだが、残りの人生を 安寧に全うするためには心を落ち着かせる必要がある。
だから何らかの総括は必要だと思っている(こういう発想も嫌われる人からは嫌われるのだろう。でもこれは私の人生で 仕方ないと思っている)。
私の現在の理解は下記にある一昨日の新聞記事で伊藤比呂美さんの回答と近く、その指摘は結構当たっているのではないかと理解して、近々もう一度カウンセリングを受けることにしている。