クリーンでグリーンなリタイア生活

エコピープルでアドラーなリタイア人 Miketoyの75点人生のライフログ

急遽追加カウンセリング

メンタルがダウンしていたので、急遽お願いして予定外のカウンセリングを一昨日にしてもらった。

私のいつもの思考パターンは、どんな状況に遭遇しようがポジティブでありたいと、デジタルで 1か0で迷う時は いつも1だと思うようにしている(人間は思い込みの産物という認知論による)。個々をさらに分析していくと、構成する個々の事象では凹凸もあろうから、簡単に1か0かの判断はし難い。ポジティブな面とネガティブな面の両面が存在するので、人生は本質的には曖昧でアナログなもの。しかし、「総合的な判断」という水準はあるはずで、それがポジティブかネガティブの態度かであると思う。この発想はアドラー心理学ベースなのか 野口悠紀雄氏の8割原則でとりあえず先に進む なのか 原点は定かではないが、私としては納得できるので、そう信じるようになって以来 採用している生き方だ。

 

カウンセラーから指摘されたことなのだが、その一方で もう一つの物差し、人生百点満点でいう75点というような100点か0点かというので言い切れない いわばアナログ的な側面もある。その2つの異なる物差しが共存してふらふらして、聞く側としては あれれ?と思うことが 私の言動では時としてあり、何がなんだかわかりにくくなることがあるというのだ。

私がカウンセリングを受けているのは、その種の迷いがあるためだろう。迷いのない人はカウンセリングを受けないという。私はカウンセリングを受けて その不足点分を何とか埋め合わせられるものならして 最小化したかったのだが、藪蛇でいろいろと関連した別の問題も出てきて、未だ迷っているというわけだ。

 

私は その人が総合的にどう評価しているのかそれを酒を飲むような場にて 近しい人には問い、聞いてみたい。その1人は自分の父親と母親だ。現役の時に父親を誘って仕事帰りに飲みに行こうかと思ったことがある。今思えばそれをしておくべきだったと思うが後の祭りだが、墓参りのときには時として思い出す。

子達に聞いてみたいことも その途上にある彼等の人生の現時点での総合自己評価だ。それが聞ければ会話はさらに展開するだろうと思っている。ただ、その問いへのレスポンスはないかもしれない。言えないかもしれないし、言わないかもしれない。

誰にしろ その関係の準備が十分でないと答えない可能性はある。カウンセラーのそういうのを聞き そうかなあとは思ったが、確かに一般的には見ず知らずの人に そんな本質的な問いをかけられても警戒されるだけだ。私の理解の構造自体を 理解できないかもしれないから、親でも子でも私の問いには直接的には答えないかもしれない。でも、見えにくいその人の全体像を総合自己評価がどうかを手掛かりに知りたいなあと思うのである。

Pennsylvania School Counselors Association Conference